ウソ泣きについて。
この技を一度も使わずに一生を終えるのはなかなか難しいと思うが、ウソ泣きをまともに描いた小説・まんがは、ひとつしか思い出せない。さらに、そのひとつのタイトルが、どうしても思い出せない。
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涙は、いったん流れてしまえば、それほど長くは続かない。涙をこらえている時間に比べれば、ほんの一瞬だ。
居間に通してソファに座らせたころには、緋沙子はもうほとんど泣きやんでいた。さっきまでの緊張はすっかり解けて、いまは、昼寝中の飼い犬のように、静かに息をしている。
私はその隣に座って、手を握っている。
初めは、緋沙子を抱こうと覚悟していた。私にできることはそれくらいしかない。けれど、緋沙子がすぐに落ち着いたのを見て、覚悟を取り消した。欲しいと思わないときに抱くのは、緋沙子のプライドを傷つけるだろう。
沈黙を破ったのは緋沙子だった。低い声で、ぽつりと、
「すごい自己嫌悪です」
「ひさちゃんは、なにか悪いことしたの?」
「ウソ泣きしておねだりするなんて、カッコ悪すぎます」
「ウソ泣きなんて、いつしたの?」
「さっきです」
どうやら緋沙子は、さっきの涙を、ウソ泣きと言い張ることにしたらしい。
「でも、おねだりは、するんでしょう?」
と私が意地悪を言うと、緋沙子は気色ばんで、
「しません!」
「そうだったね。ひさちゃんは私を口説きにきたんだっけ」
緋沙子は口をへの字にして、目をそらした。そして、
「はい。でも、調子が出ないから、もう帰ります」
そう言って腰を浮かせた緋沙子に、
「自信がないから、もうしたくない?」
私はいつかのセリフを持ち出した。緋沙子はすぐに気づいて、頬を赤らめ、
「――はい。こう見えても繊細なんです」
と、いつかと同じセリフで応じて、腰をソファに沈めた。
私はいったんその場を離れてキッチンに行き、やかんを火にかけた。居間に戻って、遠くから声をかける。相手があまり近くにいると、話しづらいこともある。
「さっきも訊いたけど、もう一回訊くよ。
ひさちゃんは、どうしたいの?」
「陸子さまにお仕えしていたいです」
「私とは会えなくなってもいい?」
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