2006年09月29日

1492:69

 同人誌にまとめるために、この話の原稿を校閲している。
 昔の原稿を読む苦しみを、なにに喩えればいいか。

 
                        *
 
 オーストラリアで撮影した映画が、興行的にはともかく、評論家に受けた。緋沙子も賞をもらい、名前を売った。お世辞とはいえ、『次の仕事はハリウッドの大作になるだろう』と何度も言われていた。緋沙子は代理人を雇って交渉と契約を任せた。
 そんななか、イギリスの映画人の働きかけで、緋沙子のイギリスへの入国禁止が解けた。
 
 ロンドンには朝に着いた。
 「ロンドンは物価が高いから気をつけて。特に公共料金。資本主義国だから」
 地下鉄の料金は腰を抜かすほど高かった。資本主義国だからと緋沙子はいうけれど、ニューヨークの地下鉄はまともな値段だ。説明になっていない。
 緋沙子は名門デパートを足早にめぐった。ほとんど買い物はしない。不思議だった。緋沙子はあまりウィンドウショッピングはしない。
 けれどアーサー・グラハムにはわかっていたらしい。
 「店員がお前の顔を知ってるのが、そんなに嬉しいか」
 図星を突かれたときの顔をして、このときだけはクィーンズイングリッシュで緋沙子は言った。
 「もし私が何者かを説明しなければならないとしたら、それは私が何者でもないということだわ」
 「お前はアヤカだよ。いつまでたっても寸足らずな奴だ」
 私には意味のわからないやりとりだった。昔のことに関係しているのかもしれない。
 アーサー・グラハムは緋沙子の元養父だ。70歳ほどの老人で、緋沙子のことをアヤカと呼ぶ。緋沙子はイギリス時代には他人の名前を借りて暮らしていた。その名前が、アヤカだった。
 二人の会話を聞き取るのは難しかった。私は英語に不慣れなうえ、アーサーも緋沙子もコックニー訛りでしゃべる。聞き取ってから何秒もかけて、「アガイン」をagainに、「アー」をheartに変換して、やっと意味がわかった。
 それでも、二人の仲のよさは、見ていてわかった。二人のいうことの、半分は皮肉で、残りの半分は悪態だった。お互いへの皮肉と悪態を、いつまでも飽きることなく、嬉々として交わしていた。親子というよりは、歳の離れた兄と妹のようだった。50歳差はいくらなんでも離れすぎだけれど、それでも兄妹に見えた。
 なぜだろうと思って観察していて、気づいた。二人はよく似ている。
 棒を飲んだようにまっすぐな姿勢、人の顔を見るときの探るようなまなざし、超然としているのに神経質そうな物腰。こうしたものを、緋沙子はこの老人から受け継いだのかもしれない。
 似ているのに、親子のようではない。緋沙子もアーサーも、お互いに容赦がない。子や孫を、これほど遠慮なく、しかも対等に扱うような父や祖父はいない。緋沙子にも同じことがいえる。
 観察しているうちに、思い出した。養父というのは世をあざむくための仮の姿で、もともと二人は共犯者だったのだ。
 
 夜には、緋沙子の昔の仲間が、パブでささやかな歓迎会を開いてくれた。みな年上で、アーサーくらいの歳の人が目立った。途中で出たり入ったりして、延べでは8人くらいだった。
 私はまわりの会話をほとんど聞き取れないまま、緋沙子を眺めていた。
 久しぶりの再会なのに、いつもと違う様子は見えない。大きな笑い声をあげることもなく、人の肩や背中を叩くこともない。昔の仲間たちは全員がそうしているのに。向こうも、そんな緋沙子を当たり前のように受け入れている。
 そうしているうちに、私は痛感した。
 同じ訛りでしゃべっても、昔の仲間がいても、兄のような人物がいてさえも、ここは緋沙子の故郷ではない。緋沙子にも、向こうにも、それがわかっている。
 『私の帰るところなんて、ひかるだけ』と緋沙子は言った。けれど私だって、彼らとそれほど違わない。学校時代やアシスタント時代の仲間たちと分けあったものを、緋沙子は持っていない。
 私は考えはじめた。孤独について。緋沙子の、それに陛下の。
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Posted by hajime at 2006年09月29日 00:50
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