2008年05月23日

祭り要員と仕事人

 以前、「日本ユニセフ協会のタコ踊りはおそらく問題ではない。彼らはしょせん現実の政治経済から遊離した存在にすぎない」と予想した。

 幸い的中したが、的中したこと自体には意味はない。間違った筋道で予想しても、まぐれで当たることはある。重要なのは、結果が出たことにより後知恵という道具が使えるようになったことだ。私の予想の筋道を、後知恵という道具で批判してみていただきたい。「なにをわかりきったことを」という程度のものだろう。
 私は人より優れた判断力を備えているわけではない。問題なのはむしろ、「どうして人は判断力をなくすのか」のほうだ。
 判断力をなくす――いわゆる「祭り」だ。
 人間性請願
 一応リンクしたが一瞥の値打ちもない。理性のある人間なら、ナントカ水(マイナスイオン水、深層水、酸素水、等々)と同レベルのありきたりなトンデモに1秒でも費やしたりしないだろう。
 「祭り」という名のもとに、多くの人々の注意力が、ナントカ水レベルのトンデモ屋の宣伝に向けられている。
 ナントカ水レベルのトンデモ屋は、スパムメールと同様、この世でもっとも愚かな1%の人々を集めてぼったくる商売だ。スパムメールと同様、悪名は商売のマイナスにはならない。悪名だろうと人に知られれば、愚かな1%の人々はひっかかってくるし、商売はますます繁盛する。そしてこの世に愚かな1%の人々がいるかぎり、トンデモ屋という商売はなくならない。だからトンデモ屋対策として必要なのは、個々のトンデモ屋やトンデモ説をいちいち叩くことではない。自分自身や、自分の利害関係者(この場合は政治家)の判断力を保ち高めることだ。
 判断力をなくしていなければ、こんなことは簡単にわかる。なのにすべてが「祭り」という名のもとに正当化され、儲かるのはトンデモ屋ばかりだ。
 
 祭り要員がトンデモ屋の商売の片棒をかつぐ一方で、仕事人が仕事をしている。
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 仕事人というのはもちろん官僚やJASRACのような、既得権益にあずかっている連中のことだ。
 審議会とは
 祭り要員と仕事人ばかりの社会は、既得権益を歯止めなく増大させてゆくことしかできず、停滞と崩壊に至る。戦前の日本が満州事変から真珠湾へと流れ着いたのも、大陸の既得権益を手放すどころか、歯止めなく増大させてゆくことしかできなかったためだ。
 
 バブル時代からこのかた、粘着は流行らなくなった。だが終戦からバブルまでの日本と、バブルから現在までの日本を、見比べてほしい。
 粘着を取り戻そう。仕事人の足を引っ張ろう。この世界を、既得権益の外へと運び出そう。

Posted by hajime at 2008年05月23日 00:14
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