生命、宇宙、そして万物についての(究極の疑問の)答えは42だが、クランク長、ペダリング技術、そして万物についての(究極の疑問の)答えは「構うな」だった。
Myth and Science in Cycling: Crank Length and Pedalling Technique
結論:
・TTやトライアスロン(=登りでのスタンディングがない)で長いクランクを使う奴は馬鹿
・ペダリング技術を鍛える奴は馬鹿
映画『メメント』を見た。ご多分に漏れず、ラストシーンのテディがどこまで嘘をついていたのかわからなかったので、ネットの解説を読んで回った。
結論:やっぱりわからない
あと、THE FACTS 6を刺青にしろとメモったことの意味は重い。これによってレナードは最後の「復讐」のあとは誰も殺せなくなり、テディのような人間に利用される恐れもなくなった(ゼロではないが、ほぼ確実に)。あの場でテディを殺さなかった理由とも絡んで、見事な曖昧さを演出している。テディの話の信憑性は居心地の悪い曖昧さだが、こちらの曖昧さは味わいがある。
浜岡原発を停めて「対策しました」というアリバイを作ろうと励む現政権について。
・東電の発送電分離
・もんじゅ廃炉
・地震予知と縁を切る
現政権はどれひとつとしてやろうとしない。どれも難しいからだ。
地震予知と縁を切るのがなぜ難しいか。「対策しました」というアリバイを作れなくなるからだ。地震予知が不可能という前提のもとでアリバイを作ろうとすると、全原発を停める(=不可能)か、10年がかりの改修計画を立案実行する(=終わった頃には誰も覚えていない)か、という話になる。「アリバイがあれば大丈夫」なのは安全ではなく保身だ。
もんじゅ廃炉がなぜ難しいのか。核燃料サイクルという夢をあきらめることになるからだ。もし核燃料サイクルが実現すれば、輸入への依存度が下がり、外交上の選択肢が広がる。端的に言えば、強い国になる。だが、もんじゅをこの先いじくりまわして得られるものといったら、関係者のメンツと雇用だけだ。
東電の発送電分離がなぜ難しいのか。東電が国策企業であり身内だからだ。これだけ派手に吹っ飛んだ身内をまだかばう――この行動パターンを見れば、日本経済が今の体たらくな理由もよくわかる。
現政権に与えられた行動の自由度はかなり大きいはずなのに、安易な保身へと走るさまを見ると、ただ一言、「卑しい」に尽きる。
スタッズ・ターケル『死について!』(原書房)394ページから、ジュディス・クーチェンの詩をご紹介する。
不埒な老婆になりたい
間違っても「老婦人」だなんて呼ばれたくない
七十年の恋多き生涯に
一万人の男と恋をしたい
だけど、もうひとりのわたしは
どんどんやせてけちになって、辛らつな口をきく、土気色の老婆になって
ついには喜びとは無縁な存在になりたい