中里一日記: 2005年07月 Archives

2005年07月17日

ロバート・キヨサキ『金持ち父さん貧乏父さん』

 資本主義が崩壊して共産主義の至福千年が訪れた暁には、人々は、善と悪をよりわけるように、経済学と会計学をよりわけるようになるだろう。
 いまはまだ、きわめて賢い人々でさえ、経済学と会計学の区別があまりついていない。たとえば「減価償却」という概念は会計学のものであって、経済学ではほとんど意味を持たない。が、きわめて賢い人々のなかにも、これがとっさにはわからない人々が多い。
 原理的には、経済学と会計学の違いは明らかだ。会計学は金の動きを扱い、経済学は人間の生産・消費活動を扱う。だから会計学には「限界効用」という概念はない。それは金の動きではないからだ。
 「不労所得」という概念はどうか。これは今でも議論のあるところだが、私見では、知的財産権によるものや宝くじのようなものを除けば、真の不労所得はほとんど存在しない(だから世界一の大金持ち(ビル・ゲイツ)の収入は知的財産権によって支えられているわけだ)。いわゆる「資産運用」なるものは、「資本+労働=生産」の図式にぴったりはまっている。
 (ここには逆向きの罠もある。株の短期売買はずいぶんな労働に見えるが、実際はなんら労働ではなく、生産もない。知見を磨いて銘柄を選び長期保有するのは、間違いなく生産的なことなのだが、どういうわけか人は、こういう本物の知的労働よりも、他の馬鹿と度胸比べをするほうを好むものらしい)
 労働に比して生産が大きすぎるように見える? その直感に、マルクスも惑わされた。が、21世紀の農業技術に支えられた農民は、中世の平凡な領主(けっして楽な仕事ではないが)よりも多くの富を生み出す。資産運用の収益を不労所得をみなすのは、経済格差のもたらすルサンチマンを帳簿に投影しているにすぎない。
 「不労所得」に関するこのような見解は、いわゆるブルジョア経済学によるものであり、金持ちに都合のいいように偏向している、とも言われる。裏を返せば、金持ちはこういう理屈で不労所得を正当化するので、「資本+労働=生産」の図式を押し出すにきまっている。
 さて本書である。
 金持ち父さんの教育を通じて「金持ちの発想を教える」という体裁をとりながら、「不労所得」という概念を恥ずかしげもなく持ち出している。この言葉自体は出てこないが、著者のいう「資産」が「不労所得を生み出すもの」であることは明白だ。まぎれもなく貧乏人の発想である。なるほど、「47才で引退」などと馬鹿げた自慢をするわけだ。貧乏人の著者は知らないらしいが、金持ちは知っている――たいていの人間は、金があってもなくても働くものだし、それならば、よい仕事を長く続けるほうがいい。
 貧乏人のルサンチマンを帳簿に投影するため、著者の発想は、経済学ではなく会計学にある。経済学は人間活動の全体をカバーする学問だが、会計学がカバーする範囲は金の動きに限られている。経済学に別のものを投影して嘘をつくのは難しいが、会計学ならそれが簡単にできてしまう。本書のいう「資産」のように。
 「測定できないものは管理できない」という法則を覆せないかぎり、会計学はこの世に欠かせない。が、測定と管理の限界は、人間活動のすべてではない。そこを(おそらくは意図的に)ごまかすと、本書のようなルサンチマン・プロパガンダが生まれる。会計学の原理をきちんと理解していれば、このごまかしは自明なのだが、人々はまだ、会計学と経済学の違いをよく理解していない。同様の例として、ソーシャル・ダーウィニズムがある。明らかに馬鹿げたプロパガンダだが、70年前には影響力があった。
 Googleで「金持ち父さん」を検索してみると、どういうわけか、マルチまがい商法の勧誘が数多くヒットする。まことに本書にふさわしい現象だ。7andy

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2005年07月08日

アンソロジー『[es] ~エターナル・シスターズ~ vol. 2』

 もう10年近くも前のことだ。私はある日、宗教の勧誘を受けた。相手はこう言った。「世の中はどんどん悪くなっていると思いませんか?」。「いえ、どんどん良くなっていると思います」と私は答えた。
 用意していた答ではない。実際、私はこのあともう二度と、同じ質問を受けていない。もし受けたら、必ず言ってやろうと思っているのだが。
 私はすべての変化を信仰する。盲目的に、といってもいいだろう。
 なぜ私がコンピュータに関心を持つのかといえば、これほど変化の速い分野もないからだ。ではなぜ百合に関心を持つのか。実はこの分野も、ある意味では、きわめて変化が速い。少なくとも、変化の種子を秘めている。
 ムーアの法則の基準でみれば、人間はほとんど変化しない。そのため、まんがや小説は、流行の最先端こそ移り変わるが、古いものがまったくのナンセンスになるという事態は起こりにくい。1970年のマイクロプロセッサには骨董品としての価値しかないが、1970年のまんがは、もしかすると当時の読者以上に楽しめる。
 では、1970年のまんがのうち、もっとも価値下落の著しいのは、どんなものか。
 私のみるところ、もっとも価値が下がったのは、恋愛を扱った作品だ。1970年の恋愛まんがの大半は、いまでは表現上の迫力しか残っていない。少なくとも、いま望月三起也『ワイルド7』を読むように手に汗握って読めるかといえば、否としかいえないものが多い。
 これには理由がある。アクションやギャグに比べて恋愛は、物理的・生物的・社会的な基盤に立脚する面が少ない。外部の基盤に深く根ざしていればいるほど、基盤が変わることなしには作品も変わることができない。もし明治維新のような大革命があって社会的な基盤が変われば、そういう作品も大きく変わるのだが、1970年から現在のあいだにそうした革命は起こらなかった。
 とはいえ、恋愛にも社会的な基盤があるではないか? その最たるものが結婚と夫婦生活――そのとおり。だから、「ある意味で百合は変化が速い」というわけだ。
 本書を読んでいると、百合と変化について考えさせられる。
 どう考えさせられるのかは、読者諸氏のご想像にお任せする。その想像が、明日の百合を作るのだ。7andy

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2005年07月03日

アボカド・アッシュ『いい男はマーケティングで見つかる』

 この手の本あるいは文章は、男性向けには時々よいものがあるが(『モテる技術』など)、女性向けとなると、真面目なものは皆無である。本書も例外ではない。
 本書は、ある実在の女性についてのケーススタディという形式で書かれてる。その実在の女性というのは、100人にひとりしかいないくらい覇気に満ちた人物である。どれくらい覇気に満ちているかというと、大手企業に就職・ニューヨークの大学院に留学・金融関係に転職、という具合だ。男遍歴も華麗である。ギャグとしか思えない。
 もし真面目にケーススタディをやるつもりなら、就職先がひどくて派遣社員・パソコンスクールに通学中・年収300万に届かない、というケースを取り上げるべきだろう。『モテる技術』はケーススタディ中心ではないが、同じくらい条件の悪いケースを念頭に置いている。著者(マーケター)も仕事では、同じくらい条件の悪い商品を扱っているはずだ。
 ギャグならギャグでいいが、見る価値のある芸を見せてほしい。「『いい男をつかまえたい』だなんて本気で思っている読者はいない。役に立たない理想のケースを見せて、いい気分にさせるのが正しい」――いつもこれだ。編集者は、自分ではスマートで格好いいつもりなのだろうが、読者は退屈だ。(この手の本には編集者の意向が強く働くので、著者を責めるのはお門違いであることが多い)
 『モテる技術』のもっとも素晴らしい点は、実践と情熱を前提としていることだ。読者と編集者の頭のなかの「理想のケース」に引きこもるのではなく、残酷で予想のつかない現実の戦場に向き合っている。
 そのような本を作るのは、引きこもり的な本を作るより、はるかに難しい。おそらくこれからも、この手の本はギャグばかりだろう。しかしいつの日か、「派遣社員・パソコンスクールに通学中・年収300万未満」の戦場に向き合った、情熱あふれる500ページの本が出るはずだと私は確信している。
 なお、「派遣社員・パソコンスクールに通学中・年収300万未満」とは、私のことではない。Amazon(なぜか7andyにはない)

Posted by hajime at 10:31 | Comments (0)