音夢EDを見た。
G'sマガジンの人気投票で、ことり>音夢の理由がよくわかった。平均的ギャルゲーマーから見れば、音夢よりもことりのほうが、「好きなキャラ」に選びやすい。
だいたい、病弱という設定が有力だと思われるようになったのは、いつからなのか。私の知るかぎり、「同級生2」の桜子の人気は大したことがなかったし、シスプリの鞠絵の人気もあのとおりだ。病弱の雄といえばもちろん「With You」の伊藤乃絵美だが、出番の少なさを思い出していただきたい。
私見では、病弱というのはボーイッシュや眼鏡と同様、下位打線の設定である。クリーンナップに持ってくるべきではない。乃絵美にみられるように独特の爆発力があるのは確かだが、クリーンナップに必要なのはもっと別のものだ。
話を戻そう。ことりのほうが音夢よりも、「好きなキャラ」に選びやすい――実際に魅力を感じたかどうかとは別に。
音夢は、選ぶことができないものとして、主人公の前に現れた。主人公は、音夢を選んだというより、音夢に適応したというほうが当たっている。この「選ぶことができない」という前提が通るときにだけ、音夢は魅力を発揮できるのだ。G'sマガジンのアンケート葉書を書いているときのユーザは、まさに選んでいる。
「選ぶことができない」という前提は、ADVという形式とも相性が悪い。選択肢を選んでいるのに、選ぶことができないとは何事か。「痕」をまねて選択肢をなくすという手口もあるが、それもしていない。
音夢というキャラで目指したものは理解できるが、ゲームの完成度という観点からは、大いに疑問がある。
そんなものがあったら確かに知りたい。
というわけで、私も募集してみる。
「D.C. P.S.」をEDまでやった。
第一印象よりはずっとマシな作品だった。EDまで4時間で行ける、という点は大いに褒めたい。これなら3人くらいまではEDを見ようという気にもなる。
ことり人気は、キャラデザの出来によるところが大きいような気がしてきた。アニメ版のキャラデザでは、さくらが圧倒的に出来がいいが、ゲーム版のさくらはそれほどでもないので、相対的にことりが浮上してくる。また、ことりの仕草が一番ベタなので、一番わかりやすい。
Visual Reading Story「希望入りパン菓子」主題歌のレコーディングを終えた。
完璧だ。
エロゲーの「ENSEMBLE」をようやく一回クリアした。若葉が壊れるルートと淳が覚醒するルートはいずれやりたいが、気力が湧かない。
さて、ここ数ヶ月というもの、電撃G'sマガジンのキャラ人気投票では、「D.C. P.S.」の白河ことりが連続してトップを取っている。
ことりといえば、アニメ版を見たかぎりでは、角の立たない八方美人なエスパーという印象しかない。それが、同じ「D.C. P.S.」の朝倉音夢を大差で引き離して一位なのだから気になる。音夢といえば「D.C. P.S.」の特等席を占める大物で、アニメ版を見たかぎりではかなり強力なキャラだ。
これはどういうことなのか? この謎を解くべく、また電撃G'sマガジン人気トップの実力を試すべく、PS2版「D.C. P.S.」に着手した。
着手したが――
このゲームから、あのアニメを作るとは――アニメ版の制作スタッフは、じつに素晴らしい仕事をしたものだ。ううう。
STLコンテナをGlobalAllocでアロケートすると何が面白いのか。
newの実装は、環境により場合により異なる。同じOS・同じコンパイラなら同じ実装になりそうに思えるが、そうではない。
OSによるメモリ割り当ては遅いことが多く(GlobalAllocも例外ではない)、STLのデフォルトアロケータを使ったときのように気軽にnewしまくるコードでは、このオーバーヘッドは深刻なものになる。このため、多くの環境でさまざまな対策が講じられており、newをオーバーライドするという手も使われる。また、メモリリーク検出のためにnewをオーバーライドする環境もある(MFCなど)。
このため、極端な場合、スタティックリンクされていても、場所によってnewの実装が異なりうる。ダイナミックリンクでは、たとえ実装が同じでも動作が異なることさえある。たとえば、newのオーバーライドでメモリリークを検出する場合、newで確保された領域とは別のところに管理情報を確保していることがありうる。
STLのアロケータはインラインで展開される。どこかにデフォルトアロケータを定義したobjファイルがあるわけではない。デフォルトアロケータ中に含まれるnewの動作は、展開先のnewのものだ。
ということは――ダイナミックリンクされたバイナリのあいだでは、互いに相手のSTLコンテナをdeleteすることができない場合がある。相手にconstなオブジェクトを引数として渡すのは安全だが、戻り値にSTLコンテナを使うのは危険だ。
というわけで、GlobalAllocを使うSTLアロケータの出番になる。
GlobalAllocの動作は、環境や場合によって変わったりしない。同じコンパイラを使うなら、ダイナミックリンクされたバイナリのあいだでも、自由にSTLコンテナをやりとりできるようになる。
ただしGlobalAllocは、まともなnewの実装よりもはるかに遅いので、そこらじゅうで使うわけにはいかない。ダイナミックリンク間のやりとりに限定して使うべきで、それもconstな引数で済むところには使わないほうがいい。
日本語の世界ではやけにマイナーなので紹介してみる。
GlobalAllocを使ったSTLアロケータ(winstl_global_allocator.h)などが使える。しかし、GlobalAllocでアロケートすると何が面白いのか? 後日に続く…かもしれない。
カルチャーギャップはいたるところに存在する。
ボーイズラブ文化に浸っている人なら誰でも、南原兼や水上ルイを褒めるのは危険だと知っている。本物のボーイズラブ読者の前でこの二人を褒めるのは、プロ野球ファンの大阪人の前で読売ジャイアンツへの愛を告白するのと同じくらい危険だ。
同様に、エロゲー文化に浸っている人なら誰でも、西又葵や山本和枝を褒めるのは危険だと知っている。
「当たり障りのないこと」と言うのは簡単だが、どんなものが当たり障りないかを知るのは難しい。
この日記によれば、私が「ENSEMBLE」というエロゲーに着手したのは先月13日のことらしい。ロンドンにいた期間を除いて、ほぼ毎日やっている。が、まだエンディングにたどりつかないのは、どういうわけか。
結論:3時間以内にまともなエンディングにたどりつけないゲームは、それだけでクソゲーと呼ばれていい。
一個の妖怪が今、はてなダイアリーを徘徊している――セカイ系という妖怪が。
セカイ系の正体については諸説あるが、代表的なものをあげてみよう。
また、代表的かどうかよくわからないが、私の周辺では次のような説が唱えられている。
だんだんわかってきたような気がする。
私の想像も付け加えてみた。
ずいぶんわかってきたらしい。
突然でもないが私はいま東京にいる。
ロンドンの美術館である。とにかく広い。値の張りそうな西洋絵画が、腐るほど置いてある。あまり値の張りそうにない作品も多いが、そういうのはよく見ると、イギリスの画家だったりする。Nationalというわけだ。
ルーベンスの作品も大量に置いてあった。聞くところによれば、ルーベンスというのは絵を産業的に大量生産した画家であるという。どう産業的なのかというと、分業をやったのだ。とはいえ分業なしの作品もあり、National Galleryにもいくつか置いてあった。
分業ルーベンスと、完全ルーベンスを見比べた私は――分業ルーベンスの絵が、エロゲー臭いことに気づいた。あるいは、エロゲーの絵は分業ルーベンス臭い、というべきか。
私の見るところ、ルーベンス本人は構図を、アシスタントは塗りを担当していたらしい。構図はひとつ作れば何度でも写して使えるが、絵の具を塗る作業のほうは作品ごとにやる必要があるので、もっとも力量のある人員(ルーベンス本人)が構図を担当するのが道理である。
エロゲーの制作システムでは、力量があるからといって構図を担当するわけでもないし(構図を何度も使えない以上は、ここに希少なリソースをあてる理由がない)、分業ルーベンスのような必然性にもとづくものでもないが、ともあれ、原画・塗り・色彩設計という分業形態が一般にみられる。これに加えて、原画と構図のあいだにも分業がみられるとも聞く。色と形のあいだで分業を行うという点で、分業ルーベンスの分業形態と重なる。
だから、同じ臭いを発していること自体は不思議ではない。だが、油彩とCG、近代西洋絵画とアニメ・まんが、貴族・豪商とオタク文化層のあいだにある距離を越えてなお、まっさきに同じ臭いを感じさせるとしたら、それは分業形態の反映というよりも、人間の感受性の反映である。
エロゲー臭い、という感覚――これは、色と形のあいだの不調和が、一般に想像されるより深刻なものであることを示唆しているように思える。
まんがは基本的にはモノクロの世界だ。アニメは色と形のあいだでの分業が行われており、オタク文化はその強い影響下にある。このような条件が、色と形のあいだの不調和を、軽く見積もらせる原因になっているのではないか。
現在のエロゲーの分業形態は、おそらくルーベンスではなく、アニメをもとにしている。アニメでは色と形を分業することが避けられないが、果たしてエロゲーでは、そこまでの必然性はあるのか。この問題は一考に値すると思う。