2009年06月30日

BLへの統制開始?

 ネット書店大手の7andYが、リブレ出版のビーボーイノベルスを今年6月発売分から「アダルト」に分類し、ログインなしでは商品情報が見られないようにした。ページ右側の「このカテゴリの本」が、エロゲーのノベライズとBLが混じってカオスなことになっている。
 なお、他のネット書店は今のところなにもしていない。

Posted by hajime at 02:36 | Comments (2)

2009年06月29日

ネットワークミラーリングをWindowsにも

 要約:
 LinuxのDRBDのようなネットワークミラーリングをWindows上で実現し、ノートPCのクローンマシンを常時維持しておけば、ノートPCを失った際のダメージが軽減される。
 クローンマシンは、オリジナルマシンと同じ機種のノートPCである。クローンマシンはUSBメモリからクローン用の組み込みソフトを起動する。USBメモリを抜いて再起動するだけで、クローンマシンはオリジナルマシンになりかわることができる。

 
 そもそもの始まりは、ゴールデンウィーク直前に、我が家に入っているKDDIの光ファイバーが鳥害で断線したことだった。ちなみにこの光ファイバーは、数年前にも同じ理由で断線している。こうして私はフレッツ光に乗り換えた。KDDIに三度アナテマ。
 時期が悪かったのか、復旧はゴールデンウィーク後になるとの見通しだった。私はいつも自宅ですべての作業をしているが、回線が切れているのではどうしようもなく、某仕事先にノートPCを持っていくことになった。
 さて、マーフィーの法則――失敗する可能性のあるものは必ず失敗する。この失敗とは本物の失敗であり、いつ失敗するかは指定できない。「ここで失敗してください」とか「ここでは失敗しないでください」と注文をつけても無駄だ。本当にこんな間抜けな注文をつける馬鹿がこの世には実在するから恐ろしい。「気をつけていれば大丈夫」だの「目を離さなければ大丈夫」だのがそれだ。まともな人間だと思われたければ、こういうことはけっして口にしてはいけない。
 マーフィーの法則に従い、私は移動中の電車の中で、ノートPCを紛失した。断線の二次災害である。
 仕事用のデータのほとんどはサーバ上にあったが、作業環境および一部のデータはこのノートPCにしかなかった。この二次災害の影響によりさらに三次災害が生じたが、災害のピタゴラ装置をお目にかけたいわけではないので、それはさておき。
 私は後知恵で考えた――ノートPCの喪失にどのように備えるべきだったか?
 「HDDのバックアップ」という答えは不十分すぎる。バックアップでどれだけダメージを軽減できるかは、運に大きく左右される。バックアップを毎週土曜の夜に取っていたら、土曜の午後にノートPCの喪失が起こるかもしれない。さらに、ほとんどの場合、リストアはオリジナルを喪失してから初めて行う。オリジナルと同じ機種が用意できず、異なるハードウェア上にリストアしてみたら、STOP 0x0000007B エラーが出て口から泡を吹くことになる。
 運の要素を減らすには、ミラーリングが必要だ。
 ノートPCの喪失に備えるからには、ミラーリング先はPCの外に設けることになる。ここで問題になるのは、ノートPCだから、常時ミラーリング先とつながっているわけではない、という点だ。ミラーリング先と切り離されているあいだにHDDに書き込まれたデータをバッファしておく必要がある(このデータのことを以下ではコミットログ、コミットログのために確保されている記憶領域をコミットログ領域と呼ぶ)。コミットログ領域が満杯になった場合には、バッファリングをあきらめて、フルコピーをスケジュールする必要もある。これは特殊なミラーリングだ。
 幸い、この特殊なミラーリングをすでに実現しているソフトウェアがある。LinuxのDRBDがそれだ。ミラーリング先がWindowsである必要はない(むしろライセンス料を避けたい)ので、DRBDのオリジナル側だけをWindows上に実装すれば、望みどおりのミラーリングが実現できる。
 これで運の要素は最小限に切り詰めたが、ミラーリング先となるPC、つまりサーバに類するマシンが必要になる、という問題が新たに発生する。そこで、ミラーリング先となるPCを、オリジナルと同じ機種のノートPCにすればいい。代替マシンの調達という問題も解決できる。
 クローンマシン(ミラーリング先となるPC)ではLinuxを動かす必要がある。しかしHDDはオリジナルとクローンで同一内容なのだから、HDDにはインストールしたくない。そこでクローンマシンは、USBメモリからブートする。
 オリジナルマシンでも、コミットログ領域はHDDからは取りたくない。これもUSBメモリ上に取ると都合がいい。
 オリジナルマシンとクローンマシン、どちらにもUSBメモリを刺すことになる。では、この2つのUSBメモリをペアとして作れば、設定の手間が省ける。このUSBメモリペアを売れば、商売として成り立つだろう。つまり、こういう製品は存在しうる。
 
 細かな点について。
 クローンマシンは常時起動している必要はない。Wake On LANというものがある。
 USBメモリはHDDより遅く、USBメモリにコミットログを書き込む以上はどうしてもパフォーマンスを損なう場合がある。ただし同期的に書き込む必要はないし、コミットログは常にシーケンシャルなので、大きなシーケンシャルライトだけが問題となる。
 フルコピーの際にもオリジナルマシンを止める必要はない。XP以降ではボリューム シャドウ コピー サービスが使える。
 DRBDはパフォーマンスや現実性のサンプルであり、必ずしも実際にDRBDを使う必要はない。
 
 設計について。
 オリジナル側は2つのコンポーネントからなる。
・ストレージクラスのフィルタドライバ
・サービス(Windowsのデーモン)
 フィルタドライバはHDDへの書き込みを監視して、主記憶上にコミットログを書き込む。サービスは、
・コミットログの転送(主記憶またはUSBメモリから、クローンマシンまたはUSBメモリへ)
・コミットログ領域の残量を監視し、不足時にはフルコピーへと方針を転換する
・クローンマシンの制御(Wake On LANで起こす、ハードウェア障害の報告を受け取る等)
・フルコピー
 などを行う。
 技術的に面倒な点は、おそらく3つある。
・DRBDの把握。特に、パフォーマンスを出すための工夫
・カーネルモードドライバを書く
・ボリューム シャドウ コピー サービス関係。特に、フルコピー開始とコミットログのあいだで整合性を取ること
 このアイディアを思いついた瞬間は、「コンセプト実証だけなら1ヶ月でやれる」と思い上がったが、よくよく検討してみると、ボリューム シャドウ コピー サービス関係がきな臭い。触る人の少ないところはヤバいと相場が決まっている。というわけで現在の見通しは、コンセプト実証に1年、ドッグフードまで2年。ぬーん。誰かかわりに作ってください。

Posted by hajime at 19:50 | Comments (0)

鉛の弾丸さえ足りていない

 スコット・ローゼンバーグ『プログラマーのジレンマ』を読んだ。
 ソフトウェア開発の加速装置として、抽象化とプロセス(コードレビュー等)ばかりに注目しているが、私としては、「とりあえず制約解消系をつけてくれ」と言いたい。
 「全ての十分に複雑なCもしくはFortranプログラムは、後付けの、不完全な仕様とバグを持ち、遅い、Common Lispの半分の実装を含んでいる」という話がある。Common Lispだけでなく、制約解消系も含んでいる、というのが私の意見だ。レイアウト物(ブラウザやTeX)を思い浮かべればわかりやすいだろう。
 制約解消系が組み込まれていない言語は、十分に高級とはいえない。抽象化の層だのソフトウェア工学だのと御大層な話をしなくても、工具箱のレベルで足りないものがあり、毎日不便な思いをしているのが現状だ。銀の弾丸のあるなしを論じるより先に、鉛の弾丸を運んできてほしい。

Posted by hajime at 17:41 | Comments (0)

2009年06月07日

傍観者

 『ラーメン発見伝』というまんがに、「ニューウェーブなんかダメだ、昔ながらの普通のラーメンがいいんだよ」という意見が題材になった回がある。「そんなこと抜かす奴はたいてい、週に何度もラーメンを食べ歩くようなラーメン好きではなく、そんな奴の言うことを聞いて『普通のラーメン』で店を開いても先は暗い」という話だった。

 『レイプレイ』事件で「規制派は黙れ頭かち割るぞ」と叫んでいる連中のほとんどは、「ニューウェーブなんかダメだ、昔ながらの普通のラーメンがいいんだよ」と抜かす奴と同じだろう。いったい連中の部屋には陵辱物が何本積んであるのか。98%以上の割合で5本未満、と断言する。(ここで2%未満に分類される層が大変恐ろしい方々なのだが、どこでもこういう2%は避けがたい)
 エロゲーを5本以上積んだら、たとえそれがコンシューマ移植前提のタイトルばかりでも、地下生活が始まる。この方々は、陵辱物規制の話を聞いても、「でも警察にそういう仕事をさせるのもねえ」くらいの一般論と消極的反対しか口にしようとしない。陵辱物のヘビーユーザーだなどとはおくびにも出さないか、たとえ出してもそれが些細なことであるかのように振舞う。腹の中では「やっぱりこれからはダウンロード販売だな」くらいの現実的な対処を考えている。「陵辱物はっ、俺のっ、魂だっ、規制派は黙れ頭かち割るぞ」などと叫び出す2%未満の方々は本当に恐ろしいのでどうか私には近づかないでください。
 エロゲーを5本以上積むようなヘビーユーザーは売上全体のごく一部、とお考えだろうか。しかし実際にマイナーな作品(といっても陵辱物にビッグタイトルはきわめて少ないが)を買い支え、市場を支えているのはこういう人々なのだ。
 「規制派は黙れ頭かち割るぞ」と叫んでいる連中の98%以上は、「陵辱物はっ、俺のっ、魂だっ」とは叫ばないし、その資格もない。騒ぎにかこつけて「頭かち割るぞ」と叫びたいだけの傍観者だ。おそらく女へのルサンチマンをたぎらせているのだろう。この連中は、学校の教室でのいじめを「もっとやれ」と煽る連中でもあり、「女なんて髪の毛一筋でも隙があれば強姦していい」と放言する連中でもある。
 陵辱物規制の本当の名宛人は、こういう傍観者である。
 こういう傍観者が「祭りは終わりかよ、つまんね」で引き揚げたら、規制は緩めていい。この呼吸が難しいところだ。行政にこういう器用なマネができるかどうか。警察がデタラメをやりかねないから、ではなく、こういう器用なマネができるとは思えないから、という理由で、この件に関しては法律を持ち出すことには反対する。
 なお、将来的にたとえ法律が持ち出されることになっても、「ハハ、そうだね、坊や、お前正しいよ。確かに有罪だ。いやいや、うん、まあ、ともかく、俺仕事に戻んないと……」と裁判官に向かって言える人材には事欠かないので、ヘビーユーザーの皆様はご心配なさらず。こういう人材をごっそり拘束できるほど日本の警察は暇ではない。

Posted by hajime at 21:58 | Comments (0)

2009年06月06日

坊や

 佐藤氏の日記を読んでいて思ったこと。
 Steve Yegge『Egomania Itself』より。

 他の多くのプログラミング言語に対してやっているのと同じように、私は以前、Perlの技術的な弱点を長々とこき下ろしたことがあった。私はいつも驚きを感じ続けているのだが、Perlの連中というのは、唯一決して怒らない人たちだ。彼らはただ「ハハ、そうだね、坊や、お前正しいよ。確かに醜い。いやいや、うん、まあ、ともかく、俺仕事に戻んないと・・・」 これはすごいと思う。私は彼らにすごく敬意を感じるようになった。このことだけでも、Perlでのプログラミングに戻ろうかと思うに十分なほどだ。

 法廷で裁判官に刑法上の罪をこき下ろされ刑を言い渡されたとき、同じように「ハハ、そうだね、坊や、お前正しいよ。確かに有罪だ。いやいや、うん、まあ、ともかく、俺仕事に戻んないと……」と言える人だけが、職業的に危ない橋を渡るべきだろう。恐るべきことにと言おうか、愉快なことにと言おうか、この世にこの種の勇者が不足したことはない。
 だから、その筋のかたがたにおかれては、「坊や」に認めてもらおうと黄色い声をはりあげるのはやめて、「ハハ、そうだね、坊や、お前正しいよ。確かに有罪だ」と腹を立てずに言える覚悟を固めることをお勧めしたい。

Posted by hajime at 01:38 | Comments (0)

2009年06月03日

ホント言論は地獄だぜ

差別? そんな言葉で諸氏が想像なさるようなぬるいもんじゃないですよ、我々が日々直面してるのは。たとえばハッテンバに迷い込んだら男だって強姦される(されないって。彼らには君らと違って分別がある)、だから女も外をうろつく以上(電車に乗って会社行って帰って来るだけですが何か?)強姦されるリスクを呑め、と書く奴(そう考えている奴も幾らでもいるだろう)が顕にしているのは、理不尽な、ほとんど呆然とするしかない憎悪だ。

 
 呆然とするしかない――佐藤氏ほどのお人でさえそうなのか、と感じ入った。
 こういう輩に対面はまだしも(世の中には、学校給食を食わされたことのないお嬢様というのが、本当に存在する)、目撃したことさえないという方は、私が頭をかち割って差し上げたい。
 
 ついでにはいおく氏に一言。「レイプされても次第に喜ぶようになる」のは、日本の伝統ですね。かつてはそれを「夜這い」と呼んでいましたけど。/つまり、男根主義というより、「前近代性」が「近代性」から攻撃を受けている事例と捉えるべきです。はあまりに不用意な発言かと。もしこのコメントが本当にご本人のものであるなら、今後のお付き合いについて一考させていただきたい。参考文献として笙野頼子の「だいにっほん」三部作(1 2 3)をどうぞ。
 
p.s.
 はいおく氏の上記コメントのようにご都合主義的に歴史(家父長制や前近代)を持ち出すやりかたは、上記の佐藤氏のエントリでも軽く批判されていますし、笙野頼子の「だいにっほん」三部作はそれがメインモチーフのひとつになっています。これは、「おたく」ならぬ「おんたこ」が現代思想をご都合主義的に持ち出して権力的に振舞うやりかたが、徹底的にカリカチュアライズされて描かれている小説です。
 
 なぜ、はいおく氏の上記コメントがご都合主義的なのか。
 
 第一に、陵辱ゲームにおいて被害者は、ほぼ常に、まったく近代的な個として加害者の前に現れるキャラだからです。
 こういう現れ方の一例として、「通勤電車の中で居合わせる見知らぬ他人」を挙げることができるでしょう。通勤電車は、前近代的共同体の日常生活空間にはありえない、すぐれて近代的な空間です。前近代的共同体では、氏素性の知れない相手と日常的に顔を合わせることはありません。
 逆、つまり前近代的な関係の一例は、くらもちふさこ『天然コケッコー』のシゲと主人公です。シゲは前近代的共同体(といっても舞台は現代ですから、マスメディア等の影響を受けて衰弱しきったものですが)にどっぷり漬かり、主人公と自分のあいだの過去の出来事をしばしば話題にします、というか口を開けばそればかりです。そういう前近代的な関係に対して、主人公は嫌悪感を覚えますが、その感情に対してシゲは反応しません。過去の既成事実の蓄積に比べれば、現在の一時的であいまいな感情は取るに足らない、という前近代的共同体の価値観が反映された振舞いです。
 「通勤電車の中で居合わせる見知らぬ他人」を強姦する陵辱ゲームは作例多数ですが、『天然コケッコー』のシゲが主人公に夜這いするような陵辱ゲームはごく稀で、少なくとも私は見たことがありません。
 また、前近代的共同体の夜這いにとっては、被害者が加害者や強姦を嫌がっても、それは現在のあいまいな感情にすぎず、取るに足りません。しかし、被害者の抵抗や嫌悪に無関心な陵辱ゲームなど、私は見たこともなければ想像もつきません。
 
 第二に、陵辱ゲームから「強姦」という一個の概念だけを抽出して議論しようとするやりかたが問題です。
 陵辱ゲームというそれなりに複雑な総体と、前近代的共同体というかなり複雑な総体から、「強姦」という一個の概念だけを抽出し、それをもって「通勤電車の中で居合わせる見知らぬ他人」を強姦することと『天然コケッコー』のシゲが主人公に夜這いすることを同じ枠に入れようとする操作には、無邪気とはいえないものがあります。
 この操作も、現在噂されている「ソフ倫の新基準では刑法に触れる行為がアウト」の馬鹿らしさを批判するためなら、ありでしょう(そういう馬鹿らしい基準のほうがゲーム制作のうえでは都合がいいのではないか、とも思いますが)。しかし上記コメントはそんな局地戦の文脈にはありません。
 もっと広い文脈でこの操作をもっともらしくするには、状況証拠を積み重ねる必要があるでしょう。
 たとえば、エロゲーを制作するのがどんな人で、享受するのがどんな人か。衰弱しきった前近代的共同体にしがみつき、「俺はずっとこうやって生きてきたのに、世の中が俺を追い詰めている」という怒りをたぎらせた人々が制作・享受しているなら、前近代を持ち出すのが妥当だという状況証拠になります。しかし陵辱ゲームの実態はこれとはかけ離れています。(とはいえ佐藤氏の日記にあるような、女へのルサンチマンをたぎらせた人々、というのも違うのではないかと思うのですが)
 私が検討したかぎり、はいおく氏の上記コメントを補強するような状況証拠はひとつも見つかりません。反証ばかりが見つかります。第一の理由として上で検討したのは、もっとも強力な反証です。
 
 もし慎重に検討すれば、上に述べたような問題はすぐに見えたでしょう。はいおく氏が上記コメントを書いたときにはそういう慎重な検討がなかったのであろうと推測して私は「あまりに不用意」と書きました。
 この非常時にっ、慎重な検討など必要ないっ、とはいおく氏がおっしゃるのであれば、今後のお付き合いを考えさせていただきます。
 
p.p.s.
 慎重な検討の必要は認めてくださるようで何よりです。が、やはり、上記コメントはあまりに不用意、との考えは変わりません。
 
 歴史上の前近代とのわかりやすい連続性を欠いた、「滅菌済みのはずのところに細菌(=前近代的感覚)が繁殖」とでもいうべき現象があり、そういう自然発生的な前近代的感覚が、陵辱ゲームの関係者(制作・流通・享受の)にみられた、ということでしょうか。
 そのように把握しうる現象が起こっていることについては私も同意しますが、それを現象把握の文脈への参照もなく単に「前近代性」と呼ぶのは、きわめて誤解を招きやすい表現でしょう。自然発生的な前近代的感覚と、歴史上の前近代は、一部が似ているにすぎず、どの部分が似ているかを示す手がかりは「前近代性」という表現の中にはありません。
 
 上記コメントのなかの誤解を招きやすい表現としてさらに、「伝統」を指摘します。
 「伝統」という表現は、単に古い(とされている or ということにしたい)習俗や価値観という以上に、誰かがその積極的な担い手であることを示します。積極的に担うわけですから、その担い手にとっては、なんらかの意味でプラスの価値を持つものです。誰も積極的に担おうとはしないが絶滅もしていない習俗や価値観を「伝統」と呼ぶのは、首をかしげる言葉の使い方です。
 「××にとっては」や「××に言わせれば」といった、担い手を示すような限定を設けず、無限定に「日本の伝統」という表現を使った場合、「××」に入るのは発言者自身の名前、ということにはなりませんか。
 自然発生的な前近代的感覚を持った陵辱ゲームの関係者が、自分たちなりの「日本の伝統」を作って担うというのは、ありそうな話です。そういう人々に限らず多くの人々が、自分なりの「日本の伝統」を作り担っているわけですし。私は陵辱ゲームの関係者をあまり詳しく知らないので、そういう人々が「レイプされても次第に喜ぶようになる」という筋書きを「日本の伝統」のなかに作っているのかどうか、私にはわかりませんが。
 
 きわめて誤解を招きやすい表現が二つ並び、先に述べたような解釈を招いてしまうとなればこれは、あまりに不用意、というわけです。
 
p.p.p.s.
 社会学において確実と認められている説だからといって、無条件に今この場において私が確実と認めるわけにはいきません。今この場において私は、社会学にほとんど関心がなくコメントも残さない通りすがりの声も演じているからです。もちろん、そんな通りすがりがこんな風に語るわけがないので、あくまで「も」なのですが。
 
 名前さえない現象を把握しようとするとき、いっぺんに緻密な専門用語と説明体系が出てくるはずもなく、手近だが誤解を招きやすい言葉を組み合わせた荒削りな説明にならざるをえません。ガリレオが望遠鏡で土星を観察したとき、その輪のことを「耳のようなもの」と書いたように。
 しかしいつまでもその段階にとどまっていては教条主義です。現象把握への第一歩に際して求められる言葉と、(その分野において)かなり確実と認められる説を組み立てるときに求められる言葉は、要求水準が異なります。
 「伝統」という言葉は、後者の要求水準に達していないように思われます。宮台真司がそちらの引用文中で「伝統的態度」にカギカッコをつけたのは、後者の要求水準に達していないことを補うためではないでしょうか。
 
 以下ははいおく氏への所説とはあまり関係のない社会学への感想です。
 こういう現象を把握するために前近代の影響をひっぱりだしてくるやりかたには、限界を感じます。第一歩としてはとっつきがいいけれど、そこからせいぜい二、三歩が限界ではないかと。BLや少女まんがの強姦シーンの現象把握として説得力を持つには、五、六歩ほど前進する必要がある、というのが私のカンです。陵辱ゲーム界隈はさらに遠いでしょう。確かに、同根の現象という感じはするのですが。

Posted by hajime at 23:22 | Comments (0)

冷蔵庫に貼って使う電子ホワイトボード

 こういう製品が絶対にあるはずと思って調べたら見つからないので、カッとしてここに書く。
 冷蔵庫に貼って使う電子ホワイトボードが欲しい。買い物メモに使う。米が切れたら「米」と書いておく。料理中に書き込むのだから、もちろん防水構造である。
 なぜ「電子」なのか。ネット経由で携帯からアクセスするためだ。ホワイトボードの内容をメモに書き写すような真似をせずにすむ。また、自分が外出中に家族がホワイトボードに書き加えたものを見ることができる。さらに、携帯からホワイトボードに書き込めれば、買い物が重複することもなくなる(とはいえこの機能はタッチパネル端末限定だろう)。ホワイトボードとして使わないときは、今流行りのデジタルフォトフレームにでもなればいい。
 10年くらい前から「ネット家電」というスローガンを聞く。なら、まさにネット家電ど真ん中のこれは製品化されているだろう。と思ったが、どう探しても見つからない。製品はおろかコンセプトモデルさえ見つからない。日本の家電メーカーはアホの集まりか。

Posted by hajime at 00:04 | Comments (0)