ふろくがプリクラ用ケース、ということになっているが、切手や薬を入れるのにも使えそうだ。
では2009年第8号のレビュー。
・白石ユキ『となりの恋がたき』新連載第1回
あらすじ:主人公(茜)と一夜とヒロは3人組の幼馴染。茜は誕生日に一夜に告白される。
少コミおなじみのミソジニー展開に一瞬げんなりとしたが、作者は平たくしない性質なので、なにか変化してくるだろう。
評価:★★★☆☆
・くまがい杏子『苺時間』連載第5回
あらすじ:生徒会長(慎太郎)が登場、主人公(市子)と彼氏役(蘭)の同居がバレる。
シリーズ構成のレベルは的確だが、1ページ1ページつないでゆくレベルでギクシャクしている。
評価:★★★☆☆
・藍川さき『僕から君が消えない』連載第11回
あらすじ:部活の合宿のイベントでトラブル。当て馬(駆)のアピール。
なにがなんだかわからなくなってきた。
評価:★☆☆☆☆
・咲坂芽亜『カワイイだけじゃモノ足りない!』連載第4回
あらすじ:主人公(アリス)は金払いのいい仕事のオーディションを受けて合格するが、それは実は着ぐるみのアクターだった。
「着ぐるみ! そういうのもあるのか」と『孤独のグルメ』風に感心した。
評価:★★★☆☆
・心あゆみ『暴君とマリアなキミ』連載第2回、次回最終回
あらすじ:主人公(郁海)と校内暴力集団が集団デート。郁海は彼氏役(蒔)に告白するが、振られる。
前回よりは話が頭に入りやすくなった。
構成の難しい3回連載を、比較的うまく切り抜けている。話作りそのものの能力は悪くない。
評価:★★☆☆☆
・水波風南『今日、恋をはじめます』連載第36回
あらすじ:謎の転入生(ハル、ハルステッド)が登場。ハルは彼氏役(京汰)の旧友らしい。
ハルの人物造形(容姿も行動も)が鮮やかだ。感動した。
評価:★★★★★
・池山田剛『好きです鈴木くん!!』連載第14回
あらすじ:主人公たちが中学2年の春を迎える。
平たくつないだ。
評価:★★☆☆☆
・水瀬藍『センセイと私。』連載第13回
あらすじ:主人公(遥香)は泥酔中に当て馬(拓海)に強姦される。彼氏役(篤哉)はかすかな記憶を追って遥香のもとにたどりつき告白。
強姦は寸止めしなかった。確かにこういうのはフルコンタクト制のほうが面白い。
ライバル(アキラ)が捌けるかどうかが今後の見どころか。この形は、飛び降りのときに死ぬ以外には捌ける手がない気がする。
評価:★★★☆☆
・蜜樹みこ『恋、ひらり』連載第7回
あらすじ:彼氏役(佳月)の許婚(百合香)は佳月のことが好き。佳月の父は、百合香との結婚を押し進めようとするが、佳月は抵抗する。
丁寧だが、メロドラマ的・トラジコメディ的な演出が足りない。
評価:★★★☆☆
・千葉コズエ『ひとりぼっちはさみしくて』連載第10回
あらすじ:主人公(詞央)と彼氏役(直)は家に連れ戻される。直の家は崩壊家庭で、直はうちひしがれている。詞央は直を助けようとする。
登場人物の暗い背景というのは、ホラー映画の怪物の姿と同じで、それ自体を描かないうちが花であり勝負だ。怪物の姿を出すのは、話の旋回軸をシフトさせるときであり(最初は怪物と戦う話だったのが、仲間内での疑心暗鬼の話に変わるなど)、説明に持ってくるのは悪手と決まっている。
評価:★★☆☆☆
・銀ノ橋倫『命令、キミを離さない』読み切り
あらすじ:主人公を過保護にガードする幼馴染の彼氏役。あるとき主人公が当て馬に告白されたのがきっかけで、彼氏役はガードをやめるが、そうしたら主人公に言い寄る男が山のようにやってきて困る。そこへ彼氏役が戻ってきて、めでたしめでたし。
言い寄る男が山のようにやってくるシーン(26ページから)を描いていて、作者はなにかおかしいと思わなかったのだろうか。それとも私がおかしいのか。
評価:★☆☆☆☆
・杉しっぽ『宇宙人的・LOVE革命』読み切り
あらすじ:主人公は宇宙人マニア。彼氏役が宇宙人ではないかと疑って追いかけてみたら、彼氏役は「実はそうなんだ」と言い出し、主人公は信じる。
完成度が高い。
評価:★★★★☆
第67回につづく
のたうちまわるほど感動した! 『アートの仕事』(平凡社)120~121ページより。
都築 最後に、僕が毎回、レクチャーの最後に見せてるヴィデオがあるので、これを見てください。関西の長寿番組『探偵ナイトスクープ』という番組で昔、放映されたものです。北陸に東尋坊という景勝地があって、すごい崖で、自殺の名所でもあるんだけど、そこに名物のおじさんがいて崖から飛び降りるんですよ。見たことある人もいると思いますが、ここでまた感慨を新たにしていただきたい。
(ヴィデオを見る。ドリャーおじさんが、「ドリャー!」と叫びながら、何度も崖から飛び降りる姿を映す。最後に、「なぜ、飛び込むのか?」と聞かれ、「前は健康のため、とか言ってましたけど、やっぱり、キザな言い方ですけど、男のロマンですね」と語る)
都築 僕はこれ、もう100回は見てるんですけど、見るたびに、頭が下がるんですよ。すごいと思うんだよね。ドリャーおじさん、地元の名物だけど、決して尊敬はされてないと思う。子供がいたら、確実にイジメにあってるみたいなさ。「おまえのとうちゃん、ドリャーやろう」って。けど、アーティストって、こういう人だと思うんですよ。みんな観光で東尋坊に行って、崖のところまでは行くけど、「さあ、早く旅館に帰って、温泉入って、美味しい甘海老食べよう」みたいになるわけじゃない。僕もそうしてきたし、危険なところには近寄らないで、帰って来いって教えられてきた。でも、なかには、こうやって飛び込んじゃう人がいるわけよ。飛び込むと、死が待ってるかもしれないけど、たまには、こういう、前人未到の世界に行くこともある。ゴッホだって、同じことをやってたわけですよ。生きてる間は、1枚も絵が売れなくてさぁ。やっとゴーギャンという友達ができたと思ったらすぐにケンカして、ショックで耳切り落とす、みたいな人が、実際に自分のまわりにいたら困ったもんだと思うけど、でも、死んだ瞬間に、ゴッホはトップ・アーティストとして扱われた。これと同じことは、アートの世界ではいろんなところで起こってる。アートっていうのは、そういう危険な要素があるものなんですよ。危険なところまで行かないと、面白くない。美大に行ってる子が、卒業してアーティストになるって親に言っても「アートはいいから、就職しなさい。アートは日曜にやればいいでしょ」って言われたりしがちなんだけど、でも、そんな安全なところでできることじゃないと思うわけ。ドリャーおじさんの精神を見習ってほしい。まぁ、人それぞれだし、いろんなやり方がありますけど、根底にはこういうスピリットがないと意味ないと思うんだよね。アートって、労多くして報われない世界ですよ、本当は。みんなも崖っぷちに立つことって絶対あると思うんだよね。今、崖っぷちの人もいると思う。そんなときは、「ドリャー!」と叫んで飛び込んでみたら、見たことない領域に行けるかもしれない。ってことを、今日は言いたかったわけですね。どうか、人の言うことを聞かない立派な人間に育ってください。ちなみに、ドリャーおじさんにインタヴューしたくて探してるんだけど、ここ4、5年、消息不明なんだよね。こういう人たちは、どんどんいなくなっちゃうんだよ。
ちなみにドリャーおじさんへのインタビューはその後実現したらしい。
これを読んで私はドリャーおじさんになることを決意した。いや、未来において「なる」のでは生ぬるい。今この時点において、「私がドリャーおじさんだ」と言わなければならない。昔、声優オタで桑島法子ファンの友人が、「俺が桑島法子だ」と主張していたが、今はその気持ちがよくわかる。
さて、ドリャーおじさんたる私に言わせれば、この講師(都築響一)の理解は不十分だ。ドリャーおじさんの飛び込みは、『みんなも崖っぷちに立つことって絶対あると思うんだよね』などというものではない。常識的な感覚で認識されるような崖っぷちに飛び込んでも、それこそ「脱サラしてラーメン屋を開く」ようなものにしかならないだろう。ドリャーおじさんの飛び込み、それはライダージャンプだ。
ライダージャンプの真似をした東南アジアの子供たちは、常識的な感覚で認識されるような崖っぷちに立っていたわけではない。ドリャーおじさんも同じだろう。彼らは確かに崖っぷちに立ったのだが、その崖は、常識的な感覚では認識できない、不条理の世界にある崖だ。ライダージャンプやドリャーおじさんの飛び込みは、人間存在の根底にある不条理が立ち現れてきた姿なのだ。不条理の世界を衝撃的に突きつけてくるその姿、そこにドリャーおじさんの感動があるのだ。
というわけで、「私がドリャーおじさんだ」といっても、東尋坊に行って飛び込み2万回を目指すわけではない。それでは倶胝竪指の、指を切られた侍者になってしまう。飛び込むのが東尋坊でなくても、あるいは物理的な崖でなくても、やはり同じことだ。問題は行動ではなく認識にある。自分自身がすでにライダージャンプしている存在だと認識すること、それが「私がドリャーおじさんだ」の意味であり、だから『未来において「なる」のでは生ぬるい』のだ。
わざわざ東尋坊に行って飛び込むまでもなく、私たちはみな現在すでに、『見たことない領域』に生きている。問題は、それに気づくかどうかだけだ。
…というわけで、明日発売の私の新刊『いたいけな主人』をぜひお手元にどうぞ。
『なのはStSにおけるなのフェイは、セックスレスのほうが萌えるのではないか?』との議案が私の脳内会議に提出され、審議された。
審議の結果:否決
議案の論旨は以下のとおり。
1. なのフェイには擬似親子関係的なニュアンスがある
2. 性行為の侵襲性は、擬似親子関係にはそぐわない
3. 作中には、なのフェイの性行為は、キスさえ出てこない
まず、論旨2については満場一致での合意をみた。
性行為の侵襲性を演出するには、当事者間に十全な批判的判断力が備わっていなければならない。もし判断力に欠けるところがあれば、性行為の侵襲性への認識も不完全なものになり、読者の側にすっきりしない感情を残すことになる。もしこの方法を徹底するなら、ブレヒトの『異化』のような啓発的な意義を持つだろうが、これは萌えとは言いがたい。
かくして論旨1が争点となった。
フェイトの周囲の人間関係は円満であり、一般的な人間関係のなかではフェイトには十全な批判的判断力があると解釈できる。しかし、なのはに対するときのフェイトは、十全な判断力を備えていると解釈できるか? 判断停止の匂いを感じないだろうか?
問題を難しくするのが、なのはの無謬性である。
なのはは、人間関係のなかの具体的な存在というよりは、抽象的な理念として機能している。人間関係による問題を抱えるのは、常になのは以外の誰かであり、なのは自身の問題は登場しない。これがなのはの無謬性である。このため、フェイトがなのはに対して無批判であるように見えるのは、なのはが無謬だからなのか、それともフェイトの判断停止なのか、区別がつかないのだ。
ここで議案に説得力を与えるかに見えるのが論旨3である。
なのフェイが日常的に性交渉を持っていると推定すべき根拠が作中に提示されている(同居し、同じベッドで寝ている)にもかかわらず、性行為そのものはキスさえ描かれないのは、なぜか? 制作者が、そのような必然性を感じていたからではないか?
ここで注目すべきは、なのはが『抽象的な理念として機能している』という点だ。なのはを抽象的な理念として演出するうえで、性行為の描写は邪魔だったのではないか。理念は性行為をしない。性行為そのものが描かれないことをもって、擬似親子関係を導くことはできない。
(こうした一貫性が、なのはを単純な「主人公マンセー」から一線を画している。単純な「主人公マンセー」は、作者の鈍感さが主な原因である。作者が鈍感で、作品自体に内在する論理を読み取れず、作者の願望による場当たり的な介入を許すとき、「主人公マンセー」に陥る。「主人公マンセー」とは、作品の一貫性を損なうような場当たり的な介入によって生じる不快感を表現する言葉だ。主人公が超人的存在であるからといって、あるいは作者の願望が反映されているからといって、「主人公マンセー」とはいえない)
議論は論旨1に戻った。
いまや、抽象的な理念としてのなのはを、擬似親子関係を結ぶなのフェイへと読み替えることの、妥当性と魅力が問われている。もし答えがイエスなら、議案にもイエスということになる。
この読み替えに焦点が絞られたとき、反対派から有力な反対意見が出された。
いわく、擬似親子関係は、将来における崩壊を予定したものでなければならない。子が判断停止をやめたときに展開される光景(およびその予感)こそが、擬似親子関係の魅力の核心である。しかるに、なのはは無謬なので、フェイトが判断停止をやめてもなにも目新しい光景は現れない。そのため、なのフェイを擬似親子関係に読み替えることは魅力がない。
この反対意見に対して、「なのはを腹黒に読み替える」という案が出された。なのはが抽象的な理念に見えるのは、なのは自身の策略が奏功した結果である、と読み替えるものだ。なのはの策略が露見したとき、フェイトは判断停止をやめる、ということになる。
しかしこの腹黒案に対して、「策略には綻びがあるべきだ。フェイトに対する性行為は、そのような綻びとして魅力的だ」との批判が出された。これにより腹黒案は退けられ、議案は否決された。
……というようなことを24時間考えている私の最新刊、『いたいけな主人』をぜひお手元にどうぞ。
日本雑誌協会の印刷部数公表(年4回)によれば、少コミの発行部数(印刷証明つき)の動向は以下の通り。
2008年4月~6月:195,000
2008年7月~9月:185,000 (-5.1%)
2008年10月~12月:172,334 (-11.6%)
同時期のマーガレットは以下のとおり。
2008年4月~6月:125,000
2008年7月~9月:120,000 (-4.0%)
2008年10月~12月:118,334 (-5.3%)
花とゆめは以下のとおり。
2008年4月~6月:257,500
2008年7月~9月:246,000 (-4.5%)
2008年10月~12月:235,334 (-8.6%)
僕キミ終了(8月)の影響はかなり大きかったらしい。
では2009年第7号のレビュー。
・池山田剛『好きです鈴木くん!!』連載第13回
あらすじ:デートの続き。主人公(爽歌)と彼氏役(輝)、忍とちひろがキス。
平たく進んだ。
評価:★★★☆☆
・池山田剛『好きです忍くん!!』読み切り
あらすじ:忍とちひろのなれそめ。
平たい。連載の本編はまだしも、こういう番外編が平たいと、この作家にはもう大ヒットの目はなさそうだという気がしてくる。
8ページ目、CTで脳波がわかるかのようなネームになっているのが変だ。
評価:★★★☆☆
・水波風南『今日、恋をはじめます』連載第34回
あらすじ:前回の携帯問題の続き。
話を作るために登場人物の心理・行動をねじまげすぎるのは作者の悪癖だが、今回も、彼氏役(京汰)の行動がやや極端だ。
評価:★★★☆☆
・心あゆみ『暴君とマリアなキミ』新連載第1回
あらすじ:彼氏役(蒔)は校内暴力集団のリーダー。主人公(郁海)は、校内暴力集団が暴れたあとに、彼らの怪我の手当てに駆り出される。
ネームがぎこちなく、話がなかなか頭に入ってこない。
校内暴力や暴走族に共感する人々(紡木たく・尾崎豊のライン)の勢力は、90年代にひどく衰えた。その90年代が終わってからもう9年も経つというのに、いまだにそれがわからない人間がいる(作者とは限らないが)という事実に、少コミの未来を見る思いがする。
評価:★★☆☆☆
・咲坂芽亜『カワイイだけじゃモノ足りない!』連載第3回
あらすじ:移籍前に所属していたモデル事務所からの妨害を受けない仕事として、主人公(アリス)と彼氏役(雷斗)は、近所のスーパーのチラシのモデルになる。
移籍前に所属していたモデル事務所との確執が、主人公の恋にどう絡むのか、まだ見えない。
評価:★★★☆☆
・くまがい杏子『苺時間』連載第4回
あらすじ:彼氏役(蘭)のアピール。
自然で納得感の高いアピール。
評価:★★★★☆
・千葉コズエ『ひとりぼっちはさみしくて』連載第9回
あらすじ:彼氏役(直)は主人公(詞央)のライブ会場に現れ、決別を翻意して詞央を連れ出す。その直後、二人は警察の家出人捜索につかまる。
敗戦処理モード。作者はどれほど辛いだろう。
評価:★★☆☆☆
・あゆみ凛『笑顔解禁!』読み切り
あらすじ:彼氏役はモデルで、主人公はその付き人。彼氏役は笑顔を撮らせないのを売りにしていたが、主人公が相手役モデルの代役を務めたとき、笑顔を撮らせてしまう。それがきっかけで告白。
画面構成がこなれていない。アイディアは鋭い。
評価:★★★☆☆
・水瀬藍『センセイと私。』連載第12回
あらすじ:主人公(遥香)は彼氏役(篤哉)に、記憶を取り戻してくれと迫る。篤哉はかすかに記憶がある様子。当て馬(拓海)が遥香を酔い潰して強姦しようとする。
死んだ魚の目のような話だ。かといってほかに代わる手もあまりない。前回の悪手は致命傷だった。
評価:★☆☆☆☆
・藍川さき『僕から君が消えない』連載第10回
あらすじ:当て馬(駆)が主人公(ほたる)に気のある様子。ほたるが彼氏役(康祐)に関して友人(ユカコ)にライバル宣言。
話がごちゃごちゃしてしまった。
評価:★★☆☆☆
・蜜樹みこ『恋、ひらり』連載第6回
あらすじ:彼氏役(佳月)の弟と許婚が登場。
いかにもこの作者らしく、登場人物の味付けが面白い。
評価:★★★☆☆
・星森ゆきも『さわっちゃダメ!』読み切り
あらすじ:主人公は男性恐怖症で、男に触られるのが怖い。彼氏役は幼馴染で、幼いときに主人公の男性恐怖症のきっかけを作ってしまった。
アイディアが足りない。
評価:★★☆☆☆
・華夜『雪咲・恋咲』最終回
あらすじ:主人公(雪姫)は彼氏役(大翔)との交際を父親にとがめられ、家に閉じ込められる。大翔は雪姫に会いにくるが、「フランスに留学してくる」との書置きを残して去る。3年後、大翔が留学から戻ってきて終わり。
アイディアが足りない。
評価:★★☆☆☆
第66回につづく