2007年08月30日

巨大で身近なドラマ

 Raymond Chen『Windowsプログラミングの極意』(アスキー)を読んだ。
 最初のWindows(バージョン1.0、1985年)は、ゲームボーイアドバンス並みのハードウェアで動いた。そのときにはすでにGlobalAllocがあり、GetWindowTextがあった。どちらもハードウェアに密着した仕様になっていた。この密着がのちにWindows 3.1の成功をもたらす。Windows 3.1は、当時のボリュームゾーンのPCから最高の実行速度を絞り出して、OS/2とMacを叩きのめした。
 Win64にもGlobalAllocとGetWindowTextがある。
 途方もないことが――途方もないことが起きたのだ。
 
 本書はそのドラマの端々をエピソード的に垣間見せてくれる。バイナリ互換性、ソースコード互換性、セキュリティ、ユーザビリティ、サードパーティの糞ドライバ。天文学のスケールと歴史学の身近さを兼ね備えたエピソードの数々に、ため息の連続だ。
 
 しかし391ページ、「UTF-8をANSIコードページとして設定できないのはなぜか」は納得できない。
 「UTF-8をANSIコードページに設定しても、MBCSのソフトウェアが即Unicode対応になるわけではない」という著者の説明は正しい。しかし別の利点、「MacOS XなどのUTF-8対応OSとのソースコードの共有」はどうなのか。Windows以外の環境では、wchar_tによるUnicode対応はとっくの昔に放棄された。
 UTF-8をANSIコードページに設定できないのは、.NET移行のための怠慢か、それともソースコードの共有に対して分断を図っているか、あるいはその両方としか考えられない。それを言おうとせず、「それほど利益があるわけではない」という説明だけで済ませる態度に、不信感を覚える。

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2007年08月23日

少コミを読む(第30回・2007年第18号)

 まず、ふろくの読み切りについて。あらすじは省略。
 
・美桜せりな『とはずがたり』
 有名な王朝文学のドリームのなさは描かずに(どうやらドリームだと評価が低く有名にならないらしい)、えげつないところだけ描こうとする態度に疑問を覚える。2つセットで面白くなるようにできている。無名作品からドリームを発掘するほうがいい気がするが、おそらくやらないだろう。
 採点:★★☆☆☆
 
・市川ショウ『数学的恋愛確率』
 変でいい。
 採点:★★★☆☆
 
・天音祐湖『世界の終わりに抱きしめて』
 普通に面白い。
 採点:★★★☆☆
 
 では第18号のレビューにいこう。

 
・車谷晴子『危険純愛D.N.A.』新連載第1回
 あらすじ:女装美少年モデル(彼氏役)を弟に持つ主人公。しかし実は弟とは血縁がなく、しかも弟は主人公に惚れている。
 画面が単調だ。顔の角度や描き方にバリエーションがないうえに、顔ばかり描いてあるからだろう。
 少コミの読者年齢層では、女装の彼氏役は難しい気がする。第二次性徴期の最中で、女性性(身体的・社会的な)に対して余裕がなく、女形的な超女性を楽しめない。そのへんの事情を反映してか、この彼氏役も、女形的な超女性を演じない。
 採点:★☆☆☆☆
 
・くまがい杏子『放課後オレンジ』連載第2回
 あらすじ:陸上部を辞めた先輩(不良)に戻ってきてもらおうと努力する彼氏役()。
 身体の動作の描き方にげっそりする。池山田の最悪なところを真似たのだろうか。身体自体の描き方は池山田よりマシなので、妙ちきりんな動線を描いてごまかそうとする(逆効果になっているが)のをやめれば、ずっとよくなるだろう。
 話もよくわからない。翼がなぜ先輩に執着するのか、動機が描かれていない。先輩の才能に執着しているのなら、その才能を描くべきだ。
 採点:★☆☆☆☆
 
咲坂芽亜『姫系・ドール』連載第9回
 あらすじ:ライバルが主人公()の能力を認める。
 今回もぐだぐだと話が進まない。
 採点:★★☆☆☆
 
・白石ユキ『お嬢様のヒミツ・』新連載第1回
 あらすじ:外見は完璧なお嬢様の主人公()。晴は転校したばかり。言葉のなまりがひどいのを気にして、学校でまだ一言もしゃべっていない。しかし偶然、彼氏役に言葉を聞かれたのがきっかけで、少しだけ話せるようになる。
 画面構成がいい。工夫が多く、伸びやかな印象を与える。彼氏役の押し出しが弱いのが、少コミ的には気になる。
 採点:★★★★☆
 
池山田剛『うわさの翠くん!!』連載第25回
 あらすじ:彼氏役()が無気力プレーで敗れた件を、主人公()が追及。
 願わくば、このまんがを支持している読者(つまり単行本を買っている読者)の、これからの人生を追跡調査してみたい。男関係で悲惨な目にあう人の割合がどれくらいになるか。
 「性描写で子供に悪影響が」という説は願望思考のトンデモだが、「さげまん女をロールモデルにする子供に悪影響が」という説はあなどれない。「悪者が暴れまわるテレビゲームより、かっこいいヒーローが敵を倒すゲームの方が、むしろ子どもの攻撃性を高める可能性がある」というのと同じ理屈だ。この作品の翠は、かっこいいヒロインとして描かれている。
 話は引き伸ばしにかかっている。
 採点:★☆☆☆☆
 
・しがの夷織『はなしてなんてあげないよ』連載第5回
 あらすじ:兄たちの干渉を思い、心が折れそうになる主人公(京華)。しかし彼氏役(大輔)は動じない。
 作者は、見えているものが多い人だと思う。見えているものが多いからといって本人は必ずしも幸福ではないが、読者にはよいものを与えていると思う。
 次回は兄たちのアピールタイムか。前の連載では、保護者役をうまく使えずに腰砕けになったが、今度はどうか。
 採点:★★★☆☆
 
織田綺『LOVEY DOVEY』連載第27回
 あらすじ:彼氏役()の策により、理事長の陰謀は挫折した。理事長は主人公(彩華)の直接排除を決める。
 緊張感を切らさないまま大詰めへと向かっている。はここでお役御免かと思ったが、もう一暴れしそうだ。実にいい。
 採点:★★★★☆
 
青木琴美『僕の初恋をキミに捧ぐ』連載第48回
 あらすじ:が修学旅行に復帰。周囲の好奇心と祝福を受ける。
 男女平等の観点から、女性の婚姻最低年齢を男性と同じ18歳以上に引き上げるべし、という議論が昔からあり、そろそろ実現しそうな雰囲気だ。そうなると今回のような楽しい展開もできなくなってしまう。少し寂しい。
 採点:★★★☆☆
 
・夜神里奈『ラブ・ハプ』読み切り
 あらすじ:占い師に「今月中に黒髪の彼氏ができる」と言われて真に受けた主人公。それを聞いた腐れ縁の幼馴染(彼氏役、茶髪)が、「彼氏ができるかどうか見張ってやる」と言い出す。最後は彼氏役が主人公のために髪を黒く染めてくる。
 話の作りこみが足りない。たとえば、主人公が柔道の実力者と設定されているが、ほとんど生かされていない。
 採点:★★☆☆☆
 
・千葉コズエ『ぎゅっとしてチュウ』読み切り
 あらすじ:受験勉強に熱心な彼氏役とつきあう主人公。自分が最初の女ではないかもしれないと気づいて動揺する。
 「受験勉強に熱心」というのは彼氏役の特徴として役に立つのだろうか、と疑問に思う。受験を描いても、少女まんがとして面白くなるのかどうか。
 少コミには珍しくラブホテルが登場する。少コミ読者の多くにとっては、男子トイレと同じくらい謎の空間だろうと思うが、そのあたりのわくわく感があまり反映されていないのが惜しい。
 採点:★★★☆☆
 
・蜜樹みこ『恋色旋律☆ダブル王子』最終回
 あらすじ:海里大地を対立させた責任を感じた主人公は、母の暮らす沖縄へと逃げる。海里は追いかけるが大地はそれを押しとどめ、コンサートツアーを成功させて主人公を安心させるべきだと説く。コンサートツアーの成功を見て主人公は海里と大地のもとに戻る。
 釈然としない終わり方だった。海里と大地のどちらを選ぶかが読者の関心になっているのに、それを十分に使わないままで「二人が仲良くなることが優先」という結論を持ってこられても困る。
 採点:★★☆☆☆
 
・藍川さき『シークレット・キス』最終回
 あらすじ:主人公は正式に彼氏役と彼氏彼女になる。行楽の帰りにラブホテルに寄るが、主人公の緊張がひどく、未遂に終わる。
 オチのつけかたがおかしい。流れからいえば、「正式に彼氏彼女になりたい」でも「変化が怖いからまだお試し期間でいたい」というダブルバインドを提起して最後にケリをつけるのが普通のオチだがそうはならず、ぎこちない構成になってしまっている。
 採点:★★☆☆☆
 
第31回につづく

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2007年08月17日

言葉産み

 差別語をなくすだけでは世の中つまらないので、ひとつ作ることにした。言葉狩りならぬ言葉産みである。
 
 「ヤニ」
 
意味: ニコチン依存症の喫煙者のこと。
使用例: 「>>1はヤニデブ」「ヤニはパチンコ屋に行ってろwww」
解説: 「ハゲ」「デブ」「バカ」同様の2文字であり、有徴化する力が強い。意味を説明しなくても通じる・タールの汚らしさと結びつく・語感が「ダニ」に近い、などの長所がある。
使用上の注意: これは差別語なので、使用時には必ず差別的な意図をこめるべし。

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呪いについて

 笙野頼子『夢の死体』(河出書房新社)を読んでいる。
 主人公の「Y」は、女性専用の下宿(女子寮)に暮らす無名作家である。以下長くなるが引用する。

飲酒、喫煙、共学、自然な発声、自然な歩きかた、時には足の痛くない靴を履く事までが非難の対象になるような文化はまだ残っているのだ。そしてそんな文化は同じ位に、飲酒喫煙その他、個人の意志で決めるべきことを強要しようとして、男女平等なんだろおおおお、と脅す文化に裏返ってもいた。土地のせいではなかった。首都でさえも、仕事先の人間から女子寮ってすうごいんだろおお、と自分のほうがずっと気持ち悪いこめかみのぴくぴくする表情で言われたりした。その凄さの、具体的内容を尋ねると結局、酒を飲み帰りが遅いという程度のことだ。(124ページ)

 その受験勉強のいらいらのさ中、夜食のラーメンを作ろうとしているのにガス台が空かず、腹が減って吐き気がしているような時間にさえ、下から通りすがりに、じょしりょおおおお、と叫んで通るのがいくたりもいた。物理的に言えばただの騒音に過ぎないのだが叫び声には何か天誅、というような英雄面とこちらをアイテムと化して勝手な物語を実践しようとする狂気が感じられた。彼らは、国名や性別をただ言っただけで意図的に人を傷付ける事の出来る技術、を駆使していたのだった。青春やパトスのなせるわざではなかった。現実の寮を目前にしていくたりもが、同じ調子を、というところで微妙に、決定的に、何か違った。女を蔑む文化に呪われているか、或いは無意識に呪いを利用したか、利用の過程でたとえごく軽くであっても無論背徳性とか現実と幻想の交錯だとかややこしい言葉がからまって来る可能性はあった。が、彼らはともかく地に足を付けて、自分以外の誰かに支えられていると確信して叫んでいた。戦時中なら、そんな連中は我欲を通すのに体制を持ち出す教練おやじというようなものになっているかもしれないのだ、と今のYならば想像する。戦争がないから、地霊代表のような顔をして苛めに来るのだった。一見欲望に忠実にふるまっているかのようであっても、実はまさに正義の物語を行っているという印象なのである。悪を人間の生命力の一表現だと、把握する態度ともどうも違った。一見勇敢な態度で則を越えているように見えつつ、実は物語の禁忌を振りかざしているだけの小心者。彼らは資質や運命に支配された犯罪はしないだろう。犯罪に関心も緊張も持たないだろう。犯罪の迷妄すら必要ない。ただ呪いを再生産しながらYのような人間を滅入らせるだけだ。(130~131ページ)

 私はこの種の呪いの培養槽として育った。物心つく前には、さながら歩く放射能だった。これは高校の友人から聞いたのだが、小学生の私を知っている人間にでくわして私の話をしたところ、相手は怒りに震えながら「今度会ったら殺してやる」と語ったそうだ。誓って言うが、私は馬鹿とつるんで人をいじめるような動物ではなかったし、人を支配する腕力もなかった。ただただ呪いの力だ。
 これはおそらく主として私の資質によるもので、環境が特別に悪かったとは思わない。ただし、「当時としては」という但し書きがつく。
 私と同世代の人々をみると、無自覚な輩はたいてい多少の呪いをまきちらしている。呪いを発さない人はほぼ全員、かなりの功夫を積んでいるか、あるいはイデオロギーで我が身を縛っている。
 しかし、現在20歳前後の人々をみると、明らかに無自覚なのに呪いを発さない、という人がたくさんいる。まるで天使の血が混じっているかのように。
 おそらく、言葉狩り的なメディア統制は無駄ではなかった。この20年間で、子供向けメディア環境は大幅に呪いを減らした。かつてボリシェヴィキが夢みた「人間性の改良」はここに実現した、と言いたくなる。
 (ただしこの天使化には不安も覚える。呪いが希薄で、そのため人々が功夫を積むこともない世界は、どれくらい安定して存在できるのだろうか)
 
 呪いの培養槽たる私も、同世代の人々と同じく功夫を積み、不要な呪いをまきちらさないよう努めてきた(結果はともかく努力はした)。
 ときには意図的に呪いを用いることもある。私が書くものはたいてい、呪いのレベルで読めるようになっている。といっても、あまり強力な呪いは避けてきた。強力な呪いなどそうそう出てくるものでもないし、幼い日に呪いをふりまいていたことへの罪の意識もある。
 だが今日、強力な呪いをかけようと思う。おそらく、私の生涯でもっとも強力な奴を。
 次項、「言葉産み」

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2007年08月15日

リア充言語に抗して

 笙野頼子『極楽・大祭・皇帝』(講談社文芸文庫)所収の「皇帝」を読んだ。一言でいえば、史上最強のひきこもり小説である。
 タイトルの「皇帝」とは、ひきこもりの主人公の自称である。といってもひきこもりなので、称する相手は自分自身、というよりは「声」だ。皇帝は、「声」に抵抗して、一日一日をやっとの思いで生き延びている。
  おまえはおまえだ
 皇帝 私は私ではない
 ひきこもりの密室においても人は社会から自由ではない。たとえば、「おまえはおまえだ」と自同律を押し付けてくる声は、ひきこもっている本人の魂に染み付いていて逃れられない。社会の実態のなかでは自同律など建前だが、ひきこもりの密室のなかでは公理となって暴力的に皇帝に迫る。
 皇帝は、声と戦っていないときには、人類が全員ひきこもりになった理想世界を夢想する。その理想世界では人は、生涯に一度も他者と出くわさない。身体的接触はおろか会話さえもないので、魂に「声」を染み付かせることもなく、ひきこもりの密室は完璧なものになる。皇帝は本気でこの理想世界を建設するつもりでいる。
 ひきこもりの密室の迫力はもちろんのこと、密室のなかで跳梁する個人言語をすくいあげる作者の技量も素晴らしい。コミュニケーション能力とやらが豊かだと自称するリア充の言語に対して、根源的で徹底的な闘争を演じている。
 他人を「リア充」と妬む暇がある人は、この「皇帝」を読むべきだ。自分のリア充っぷりと日和見主義を恥じて死にたくなるだろう。

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2007年08月14日

少コミを読む(第29回・2007年第17号)

 ふろくの定規がレンチキュラーだった。最近のレンチキュラーの線幅の細さに驚く。私の子供の頃には、線幅はこの倍くらいだったような気がする。
 では第17号のレビューにいこう。

 
・くまがい杏子『放課後オレンジ』新連載第1回
 あらすじ:中学校男子陸上部、マネージャの主人公(夏美)は、走り高跳びの天才()に、反発しながらも惹かれている。
 44ページに問題がある。走り高跳びであんな風にバーの真正面には立つことはありえない。あと、陸上競技の記録をありがたがるのは、よしたほうがいい。用具やフォームの進歩もあるし、80年代にはドーピングが全盛だったし、ルール変更もあるしで、時代の違う記録は比較対象になりにくい。長く破られない記録だからといって必ずしも偉大とはいえない。極端な話、オブリーの2度目のアワーレコード(自転車競技)はたった6日で破られたが、自転車競技の歴史に輝く偉大な記録であり、映画まで作られた(The Flying Scotsman)。陸上競技をやっている読者は、このあたりのことをどう思っただろう。
 少コミ作品全般に共通する欠点だが、暴力表現が気持ち悪い。たとえば、全力で殴る・殴られることの扱いが軽すぎる。この世には取り返しのつかないことがあり、全力で殴る程度の暴力もそのひとつだ。なお私は取り返しのつかないことが好きなので、きっちりした暴力表現も好きだ。
 彼氏役の傾向をがらりと変えてきた点は評価できる。
 採点:★★★☆☆
 
池山田剛『うわさの翠くん!!』連載第24回
 あらすじ:彼氏役()が敵役の脅迫に屈し、無気力プレーで敗れる。
 私も人並みに好き嫌いがあり、少コミ作家に対しても当然それはある。少コミ作家の好き嫌いは、男の好みが合う合わないが一番大きい。しがの・織田・くまがいは合うほうで、合わないほうの筆頭はこの池山田だ。
 正直なところ私には、司の魅力がまったくわからない(ちなみに当て馬(カズマ)もよくわからない)。少コミ読者の主流はまったく違うのかと思っていたが、今回の人気キャラアンケート(司がカズマの下)をみると、それほど違いはないらしい。
 今回も司の行動(脅迫に屈する)にあきれた。ヒーローらしく颯爽とピンチを切り抜けるか、あるいは試合中に負傷交代(そして次の試合で敵役と主人公が対決)かと期待して読み始めたら、ただ泥沼にはまるのを読まされた。
 採点:★☆☆☆☆
 
・しがの夷織『はなしてなんてあげないよ』連載第4回
 あらすじ:彼氏役(大輔)と主人公(京華)が海の家でバイト。京華が恋心を自覚。
 京華の髪を描くのは大変だろうなと思いながら読んでいる。
 とりあえず第6話くらいまでは、特に注目すべき展開はなさそうだ。そこから腰砕けになるか、それとも今度こそ根性を見せるか、注目していきたい。
 採点:★★★☆☆
 
・藍川さき『シークレット・キス』連載第2回
 あらすじ:ライバル出現をきっかけに恋心を自覚。
 ストーリーを成り立たせるだけで手いっぱいの様子が、見ていて辛い。名人上手は流れるように手を繰り出して、どんな典型的なパターンもまるで初めて描かれたかのように見せるが、この作品はその逆だ。
 背景の使い方が、説明的なものばかりで、ぎこちない。
 採点:★★☆☆☆
 
・蜜樹みこ『恋色旋律☆ダブル王子』連載第2回
 あらすじ:海里大地が揃って主人公に惚れ、「どちらかを選べ」と主人公に迫る。
 海里と大地はもっと露骨に描き分けを強調すべきところか。髪型を大幅に変える、アクセサリーをつける、象徴的なバックを使う、などなど。
 総じて無難に進行している。エンドマークを見るまでは信用できないが。
 採点:★★★☆☆
 
青木琴美『僕の初恋をキミに捧ぐ』連載第47回
 あらすじ:が結ばれる。翌日、逞が繭に結婚を申し込む。
 前回に引き続きドリーム展開。
 採点:★★★★☆
 
・咲坂芽亜『姫系・ドール』連載第8回
 あらすじ:彼氏役(蓮二)に追いつこうと決めた主人公()は、学内コンクールにエントリーする。ライバルが、「私は蓮二の婚約者」と明かす。
 さすがにあのフランス人ではまずいと思ったのだろう、外人が描けるアシスタントを使ってきた。これも北方風でフランス人らしくないが、そこまで必要な話でもない。
 展開にスピード感がなく、大ゴマが機能していない。絵は復調したので、これからか。
 採点:★★☆☆☆
 
織田綺『LOVEY DOVEY』連載第26回
 あらすじ:理事長の陰謀により、彼氏役()の婚約者が登場、学校で公然と芯とべたべたする。主人公(彩華)はなかなか芯に近寄れず苦しみ、そこにつけこんでが動き出す。理事長の陰謀に対抗して、芯は策を巡らし、まず純が内通者と暴く。
 大作戦がいよいよ佳境に入ってきた。もし30話完結(全5巻)なら残すところあと4話、きれいにまとまりそうだ。
 話も画面も、きっちり仕上がっていて、感触がいい。
 採点:★★★★☆
 
・悠妃りゅう『騎士のアカシ』読み切り
 あらすじ:色男の彼氏役は女たらしと評判。主人公は別の面から彼氏役を好きになったが、からかわれるたびに反発してしまう。しかし実は彼氏役はちっとも女たらしではなかった。「女慣れするためにとりあえず」という名目でつきあいはじめるが、本気で主人公のことを好きになる。
 感情の流れや距離感が自然で、話に無駄がない。
 コマ割りにぎこちないところがある。中盤の盛り上げてゆくところはいいが、導入部に芸がない。
 採点:★★★☆☆
 
・水瀬藍『あなたへのクレッシェンド』最終回
 あらすじ:彼氏役が主人公に触れたところに当て馬が踏み込んでしまい衝突。その直後、当て馬が主人公を振る。この一件がしこりになって、卒業まで彼氏役に近づけずにいた主人公だが、彼氏役からの手紙を読んでわだかまりを解く。
 奇想がない。当て馬の使い方も、わだかまりを解く手口も、許せないほど芸がなく、納得や共感ができない。わだかまりを解く手口をひねり出すのは難しいので(これは解きにくいように定義された悪い問題だ)、当て馬の活用を考えるべきだろう。
 採点:★☆☆☆☆
 
・あゆみ凛『ほしいのは、あなただけ』最終回
 あらすじ:彼氏役は主人公の求め(役作りのために抱いてほしい)に応じる。その甲斐あって主人公は恋愛ドラマの役をうまくこなす。彼氏役は天下堂々の恋人になることを求め、主人公と結婚する。
 画面に単調な印象がある。手と頭の作業が足りていないように見える。
 採点:★★☆☆☆
 
第30回につづく

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2007年08月04日

一ヶ月


 
 
 
デルのノートPC遅れに対し、顧客から不満の声
 すごいや! デルデル詐欺は本当にあったんだ!

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伏見憲明『性という〈饗宴〉 対話篇』(ポット出版)

 BLへの典型的な批判に、「ホモフォビックな世間を設定・利用した作品が多い」というものがある。
 他人のことなどどうでもいいのが人間の常のはずなのに、わざわざ「同性愛なんて!」と嫌悪してくれる世間を描く作品が多い、という批判だ。これを「読者・作者が異性愛だから」と解釈する向きもあるが、賛成できない。いまの若い世代はともかく、それこそ『薔薇族』しかなかった時代には、ホモフォビックなホモも多かったらしい。本書にも、「当事者が一番ホモフォビックだった」との証言がある(ページ数不明)。さらに言えば、「同性愛者は非同性愛者よりホモフォビアに直面する機会がはるかに多いので、非同性愛者の目には異様に見えるほどホモフォビックな世間のほうがむしろ妥当に見える」という理屈も成り立つし、そうするとむしろ「読者・作者が同性愛だから」という結論が導かれる。
 それはさておき。
 「当事者だって社会のホモフォビアに囚われている→解放しなければ」、というのは道理ではあるが、さてそこで私は、森奈津子のある小説(タイトル失念)を思い出す。その作品で森は、「禁じられているからこそ、嫌悪されているからこそ、同性愛から快楽を得られるという人々はどうなるのか」と指摘していた。
 この問題は泥沼になるようにできている。快楽の独善性が糾弾されるべきなのか? それとも、解放理念が擁護する「ライフスタイル」や「権利」がいかがわしいのか? こんな問題に結論が出るわけがない。これら2つの立場は別の次元にある。
 この手の泥沼が積もり積もって558ページになったのが本書だ。
 さて――こういう泥沼をすべて無視したところに成り立つのがBLであり百合である。
 無視しているからダメだとか、倫理的に問題がある(当事者性がない、という奴だ)とかいう話は泥沼の続きだ。「無視しているから快楽主義→ポルノ」というのも泥沼の続きだ。もし真善美が快いものでなかったら、この世に学問などなかっただろう。
 
 とはいえ、政治的問題とは別に作品のよしあしとして、BLや百合がホモフォビックな世間を設定・利用するのはうまくない。泥沼を前提にしない作者と読者のあいだで、そんな妙な世間を設定しても、薄っぺらで、いかがわしい。
 受の身体にやおい穴があるように、やおい世間があってもいい、のだろうか? それはちがう。やおい穴は滑稽だが、薄っぺらではない。切実であり、いかがわしくはない。やおい世間には、薄っぺらな正常さと、いかがわしい退屈さしかない。
 
 泥沼は、売文屋にとっては、ドラえもんの四次元ポケットになりうる。問題をいくらでも取り出してくることができる、便利なポケットだ。この態度が安易なので、「社会派」という言葉は今のようなニュアンスになった。泥沼を四次元ポケットとして使えば、やおい世間と五十歩百歩の、薄っぺらな正常さといかがわしい退屈さを作り出してしまう。
 女性作家には「性を書け」というプレッシャーが強くかかるというが、BLはそのような「性」ではない。そのような「性」に要求されるのは私小説的なものだ。個人(それも女性)という辺境からエキゾチックな産物を輸出しろ、と要求されるのだ。
 社会派の四次元ポケットを封印し、「性」を輸出することもなく、BLや百合は徒手空拳で戦う。ただひたすら「人間」という拳ひとつで戦う。
 このストイシズム、理念への憧れが、BLや百合を語ることを難しくする。自由・平等・友愛によって成り立つ抽象的な「人間」を求めるこの魂は、現在の日本においては空気のように目に見えない。辺境から中央へと輸出された「性」や「方言」や「高貴な野蛮人」なら目に見えるが、中央のなかの中央である「人間」は目に見えない。
 
 本書は『性という〈饗宴〉』と題されている。しかしおそらくは、「性」よりも「人間」を映した本として読めるはずである。ただそれは、現在の日本にどっぷりと浸かった身には、あまりにも難しい。現在の日本を遠く離れて、そういう読み方ができた暁には、BLもきっと別の顔を見せるだろう。
 
 強引にまとめ:「人間」はまだ始まったばかりだ! 7andy

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2007年08月02日

「低度に発達した」シリーズ

 低度に発達した私は、ジョージ朝倉と朝倉世界一の区別がつかない。
 当然、中村春菊と内田春菊の区別もつかない。
 ただし、伊藤静と伊藤整の区別は一応つく。

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