どういうわけか私の周囲には、少コミ読者が少ない。私もすでに現役ではないが、少コミで育った。特に、すぎ恵美子が好きで、『くちびるから魔法』に始まり足掛け10年くらい読んでいた。
少コミのせいだけではないだろうが、私は俗手が好きだ。「メガネを外すべきか、外さざるべきか」のような俗手を見ると、手に汗を握ってしまう。
*
翌朝のブリーフィングの終わりに、橋本美園はさっそく動いてきた。
「設楽さま、これを」
私は名刺サイズのメモを渡された。財団職員がアポイントメントの管理に使うものだ。内容は――今日の警護を終えた後すぐに、公邸事務所の第一会議室で。用件の欄は空白。空白の用件欄は、メモのようなものには書けない機密を意味する。
「お越しいただけますか」
「……はい」
逃げ回ることで事態がよくなるとも思えない。
橋本美園は微笑んだ。笑顔を投げかけた、というべきかもしれない。私は意表を突かれながら、反射的に笑い返す。
と、机に置いていた手の上に、橋本美園の手が重ねられ、軽く握られる。
全身が小さく震えた。
穏便に手をどけてもらうには、と考えた瞬間、手が離れる。
「ありがとうございます」
橋本美園は会議室を足早に出ていった。
午後7時、陛下は公邸にお戻りになった。
「今日もありがとうね、明日もお願いね、大好きだよ、ひかるちゃん」
「陛下のお許しのあるかぎり、いつまでもお仕えいたします」
陛下とのご挨拶で、今日の警護が終わる。
さて今日はこれから、橋本美園と対決――というほど大袈裟なものでなければいいのだけれど。
いったん家に戻って着替えようか、とも考える。私が予想外の格好をしていれば、橋本美園はやりにくくなるのではないか。けれど、メイクをやりなおすと、かなり時間がかかる。そのあいだ待たせたら、それだけ負い目を感じてしまうだろう。
結局私は、警護のときに着るマニッシュなパンツスーツ姿のままで、まっすぐ公邸事務所に向かった。
会議室のドアを開けると、橋本美園はメイド服だった。ただ、着替えたのだろう、その服はまるで新品で、チリひとつついていない。頭には、女中頭のしるしの髪飾り。
けれど、身に着けたすべてのものよりも、まなざしに、力がある。まるで意思の力を形にしたような。
そのまなざしに気圧されて、私は、会議室の扉を閉めるのをためらった。
「お待たせしました。どういったお話でしょうか」
橋本美園は無言で、ポケットからカードのようなものを何枚か取り出し、私に示した。
それを見た私は――会議室の扉を閉めた。
Continue
王侯や貴族などの格は、どうやって測ればいいだろう。同じ国の貴族同士なら比較もできるが、国や時代が異なるもの同士で、格を比較することはできるだろうか。経済学的な測定方法を思いついたので、ここに提案する。
測定対象となる王侯貴族に仕える人々の、雇用条件をみればいい。民間の雇用条件と、どれくらい違うか。
もし民間より悪ければ、その王侯貴族に仕えることには、給与や待遇以外の価値(プレミアム)があると考えられる。「貴族すごい」という感情が、悪条件を埋め合わせるわけだ。
もし民間より良ければそれは、プレミアムがないことを示す。「貴族すごい」という感情を、金で買っているわけだ。
私の知るかぎり、いわゆる民度が低くて政情不安定な国・地域ほど、雇用条件が良くなる傾向にある。
*
脱衣所の安全を確認するため、私は先に浴室を出た。
壁にはコインロッカーと化粧台が並び、エクササイズマシンがいくつか置いてある。変わったことはなにもない――と一瞬思った。
お側仕えのメイドがいた。
美容副担当の宮田さん。警護用無線のイヤフォンをつけている。演説用のメイクを施すために遣わされたのが、私が脱衣所を空けてしまったので、警護の穴埋めに駆り出されたのだろう。
ぎこちなく肩をすくめながら、彼女は申し訳なさそうに笑った。
「設楽さま、お勤めご苦労様です」
「宮田さんもご苦労様です。いつからここにいらっしゃいましたか?」
「まあ、その…… 30分ほど前です」
すべて聞かれている。
「いろいろなことがお耳に入ったと思いますが――橋本さんに報告なさいますか?」
女中頭は公邸内の非公式な人間関係に責任を負っている。つまり、それに関する報告を部下から受ける。
「それも仕事ですので…… ご勘弁ください」
「宮田さんこそ、お気になさらず」
この会話は、陛下にも聞こえているはずだ。私は陛下に脱衣所の安全を告げた。陛下は何事もなかったように、すたすたと歩まれて、
「こんにちはー、宮田さん。今日もよろしくねー」
「陸子さまにあらせられては、本日もご機嫌うるわしう」
宮田さんはお髪を乾かしにかかった。私も自分の世話にかかる。
*
事の反応はしばらくなかった。
月曜日、火曜日と、公邸では橋本美園に会うこともなく、また緋沙子はそもそも出勤日ではなかった。陛下の私へのお振舞いもお変わりなかった。
水曜日の夜9時に、それはようやく忍び寄ってきた。
私は自宅で、少女まんが雑誌を読んでいた。私はまんが家くずれだが、まんがの読み方が人と違うということはない、と思う。ただ、かつてアシスタントをしていた作家の作品を読むと、背景やワク線に昔を思い出してしまう。
そこへ、なんの前触れもなく、玄関の呼び鈴が鳴った。
普通の家では呼び鈴は前触れなく鳴るが、この護衛官官舎ではそうではない。すべての通行は公邸周囲の検問で調べられ、もし用の相手が護衛官なら、確認の電話が先にくる(そして私が通販で買ったものは、この電話で許可を得たうえで、すべて開封され検査される)。それがないということは、訪問者は検問線の内側からきたか、あるいは検問をすりぬけてきたということだ。
玄関のモニターTVを見ると――緋沙子だった。なにやら両手に荷物を抱えている。
玄関を開けると、
「夜分に突然お邪魔して恐れいります。これだけはどうしても今日さしあげたくて参りました」
そういって緋沙子は花束を差し出した。薔薇やスミレのような有名な花ではない。花に疎い私には、その花の名前がわからなかった。
「先日のお礼です」
「…ありがとう」
「それと、こちらはお土産です。ヤクモのスイーツです」
これは私も知っている。高級な洋菓子だ。1個400円くらいする。
花束も安いものではない。中学生のときの自分の懐具合を思い出して、私は不安になった。
「お金、大丈夫なの?」
「いま時給4000円です」
お側仕えのメイドは新人でも年収1000万円近いという。
緋沙子を居間に通し、花を花瓶に生けて、紅茶をいれる。
そのティーポットを見ながら緋沙子は、
「設楽さまは、陸子さまにお茶をいれてさしあげることも、あるかと思いますが」
「あるよ」
緋沙子は目を細めて、
「楽しみです」
「なにが?」
「陸子さまが楽しまれるのと同じお茶ですから」
「……今日は、うまくいったみたいね」
「ええ。女中頭も親切にしてくれましたし」
その言葉に、洋菓子の箱を開ける手が、一瞬止まる。
「設楽さまのおかげなんだと思います。ありがとうございます」
『陛下を抱いたの』――と、危うく言いそうになった。わけのわからない衝動だった。
「陛下は相変わらず?」
「はい」
「相変わらず私のことを、……親しくなさるときの話題に?」
緋沙子は驚いたように目を丸くした。その反応を見て初めて、自分が言ったことの内容に気づく。
「……気になりますか?」
注意深そうに私のことを見つめながら、緋沙子は訊ねた。
「ええ」
どうしても自分が抑えられない。
「相変わらず、設楽さまのことをよくおっしゃいます」
「そう」
頬が緩むのを、抑えられない。
「ですから私も遠慮なく――」
緋沙子は言葉に詰まったようだった。すぐに頬が赤く染まる。私はその続きを促したりせず、黙って紅茶をカップに注ぐ。
「いただきましょう」
いかにも高級な洋菓子らしく、しっかりした味がする。食べると太りそうな――というのは錯覚で、実際には、二足三文のふにゃふにゃなお菓子を食べるほうが太る。精神的な満足感に欠けるので、だらだらと際限なく食べてしまうせいだ――と自分に言い聞かせて、味覚を楽しむ。
「ここのお菓子、よく食べるの? ……そりゃそうか。ここのは、スポンジの粉が面白いの。普通のお菓子屋さんって、そんなに何種類もスポンジの粉を使い分けたりしないんだけど、ここはケーキごとにぜんぜん違う」
「そうなんですか。私は、世の中にこんなにおいしいお菓子があるなんて、いま初めて知りました」
「陛下は間食なさらないしね」
あの体型を維持するため、というわけではなく、昔からの習慣であられるという。逆に、そういう習慣があの体型を保つのだろう。
「陸子さまもこういったお菓子はお好きなんでしょうか?」
「ええ。でも、差し上げようとしたりしないでね。陛下のお口に入るものは厳重にチェックしなきゃいけないの」
「それくらい知ってます。
……国王って不自由なんですね」
「長期休暇のあいだは緩くなるんだけどね。公邸におわすときは、財団のメンツがあるから」
そうして陛下や公邸のことを話しているうちに、プライベートの携帯電話が鳴った。
「ちょっと待ってて――」
言いかけて、携帯の画面を見て、息が止まる。かけてきたのは、橋本美園。あわてて居間を出て、緋沙子に声が聞こえないようにする。
「はい設楽」
「ひかるさん、そこに平石さんがいるでしょう!」
どうやら橋本美園は、話の前置きが長すぎるか、あるいはまったくないか、どちらかになる体質らしい。
「それが何か」
なぜ緋沙子の動向を橋本美園が知っているのか。おそらく、緋沙子が公邸を出たあと検問を通らないので、連絡が飛んだのだろう。
「慣れあってるでしょう」
「私は美園さんに報告する義務はないと思います。自分自身のことですし、そもそも私は美園さんの部下ではありません」
お側仕えのメイドは、公邸内の非公式な人間関係について見聞きしたことを、女中頭に報告しなければならない。しかし自分自身が当事者の場合は、その限りではない。
「こんなこと仕事で言ってると思うの? ひかるさん、この際平石さんにはっきり言ってやんなさい。陸子さまは自分の女だから、あんたは邪魔だ、って」
「ご忠告には感謝しますが、陛下にとって大切なかたは、私にとっても大切です」
「まーだそんな腑抜けた綺麗事を言ってんの! いい、陸子さまが、ほかの女と乳くりあってんのよ、その平石緋沙子と。どう思うわけ?
知ってるでしょうけど、陸子さまはそういうところでサドだよ。ひかるさんが苦しんでるのを見て感じるタイプ。ひかるさんが行動しなきゃ事態はよくならないの。わかる?」
「私はそういうところでマゾですから問題ありません」
携帯の向こうで、橋本美園が大きく息を吸い込むのが聞こえた。
「決めた。ひかるさんをさらってく」
Continue
ソルジェニーツィン『収容所群島』によれば、逮捕は重大なイベントである。逮捕される本人にとってはもちろんだが、逮捕するKGBその他にとっても、手抜きのできないイベントであるという。
なぜ逮捕がそれほどまでに重要なのか。おそらく、逮捕後の取調べや裁判では、なにも起こらないからだろう。
電車の吊り広告に、ずいぶん長いこと出ていたのが、印象に残っていた。今日、古本屋で見かけたので、5分ばかり立ち読みした。フランスがドイツに敗れた直後の1940年に書かれた本である。
5分しか読まなかったので、その範囲で書く。もっと重要な問題もあるかもしれないが、私は知らない。
敗戦直後に書かれたせいか、著者はいろいろ誤解している。
現有兵力や国防努力でフランスがドイツに劣っていたという認識は、完全な誤りだ。兵器が旧式だったわけでもない。セダン突破の前日にも、フランス側の戦車は質量ともにドイツに優っていた。国防努力の量が足りなかったわけでもない。高射砲や戦車を作らなかった? それはある意味では事実だ。なにしろフランスは、高射砲や戦車のかわりに、マジノ線を作っていたのだから。
フランスが敗れたのは、フランスの力や意思が足りなかったせいではない。やりかたが悪かったせいだ。つまり、政治家と将軍と、そしてなにより国民の、頭が悪かったのだ。
ひとくちに「頭が悪い」といっても、いろいろな中身がある。
まず、「あの努力は無駄じゃない」という独善的な発想に陥った。マジノ線のことだ。マジノ線を無駄にするのが嫌で、フランスは主導権を取ろうとせず、自らの運命をドイツの行動に委ねた。もしフランスが、マジノ線など存在しないかのように振舞っていれば、もっとましな展開があっただろう。少なくとも、ポーランド侵入をぼんやり眺めたりせず、ラインラントに侵入していただろう。
次に、「世の中はこんなもの」式の発想に陥った。ビジネス用語でいうところの「ベスト・プラクティス」だ。敵も同じように思ってくれたなら(そして実際そういうケースも多いのだが)、これでも負けることはない。しかしこのときは、技術革新という客観的な現実を利用したドイツが、「世の中はこんなもの」という主観的な期待を抱いたフランスを打ち砕いた。
こうした問題は、事実の詳細に立ち入らなければ、見えてこない。著者は、フランス軍がドイツ軍に劣っていたかのように書いている。しかし、同等の力を備えた二国の戦力を比較することが、どれほど難しいか。「フランス陸軍の通信能力はドイツ陸軍より劣っているから係数0.8を掛けて」という具合にはいかない。ましてや一国の国防を「努力」や「意思」などと一般化するのは、愚劣を通り越して、職業軍人への侮辱である。努力や意思が十分なら、マジノ線に縛られる愚を避けられたのか?
本書が書かれたのが敗戦直後と思えば、こうした侮辱も許されるだろう。だが、それ以上のものではまったくない。
ある有名な小説に、こんな場面がある。
ある男が、爆弾を仕掛けたあと、走り去ろうとする。爆発までの時間がごく短いので、走って逃げなければ、彼自身も爆発に巻きこまれてしまう。
走ろうとした瞬間、彼は考えた。『走る』というのは、どういう足の動きだっただろう? その途端、彼の足は、走ることを忘れてしまった。
*
私は考えた。考えようとした。
まず、内容の乏しいことを言って、時間をかせぐ。
「私は、陛下と言い争いをする身ではございません。どうか、お気持ちをおっしゃってください。私は陛下のお気持ちが安らかになるようにいたします」
「私の気持ち? 安らかだよー? ひかるちゃんのおかげだね」
どう応じるべきか、まだわからない。私はなにか月並みなことを言おうとして、馬鹿げたことを言ってしまう。
「光栄です。では恐れながら申し上げます。
私と平石さんのあいだには、陛下が想像なさっているような関係は一切ございません。そのようなお疑いで陛下のお心を曇らせたのは、私の不徳の致すところと――」
「曇ってないよ? 楽しいよ?」
これで時間稼ぎは品切れになった。私は、思ったままを言おうとした。
「平石さんは私の――」
言いかけて、きのう自分で言ったことを思い出す。『想像なんて、私に黙ってすればいいじゃない』。
取り消したかった。緋沙子は、私への友情のために、想像することを拒んだのだ。私がいま、拒もうとしたように。
「ひかるちゃんの、なに?」
「――友人です。いかに陛下をお慰めするためとはいえ、友人をだしにするような真似はいたしかねます」
そのとき陛下が凍りついた、ように思えた。
普段どおりのお顔のままで、ただ、その動きだけが止んだ。
時間にして、3秒か、10秒か。
そして陛下は奇妙に微笑まれた。
「もし私が、すごくて悪い独裁者だったらね。ひかるちゃんを、薬漬けにして、洗脳しちゃうかも。ひかるちゃんが逆らわなくなるように」
そうおっしゃって陛下はお顔をそらされた。
「そんなこと、したくないんだけどね。でも、しちゃうかもしれない。できなくて、よかったなー」
そのお言葉に私は――欲情した。
くちづける。深く吸う。
「……そのようなご想像なら、ぜひご一緒しとうございます」
陛下は腰を上げて、湯舟のへりにお座りになった。私の手をとって導き、命じられた。
「いかせて」
私は仰せに従った。
事を果たしたあと、唇を重ねて、離す。
「――ひかるちゃん、――」
ため息で紡がれたような言葉を切って、陛下は、私の目をじっとご覧になる。
「はい」
「――続きはいずれ、よい日を選んで、ね」
私の腕の中で寛いでおられたお身体が、しなやかに張り、私の腕のなかからするりと抜け出す。陛下はそのまま洗い場へとゆかれた。
私は、ぽかんとして、ただお姿を目で追っていた。
そのうちに、疑問が湧き起こり、心をふさぐ。
陛下のお心は安らかであられるだろうか?
陛下をお慰めすることができたのは嬉しい。けれど私は、慰めよりもよいものを、陛下に楽しんでいただくべきではなかったのか。
もし私が、あの異常な癖を、隠し通せていたら。この入浴はもっと、気の置けない、安らかなものになったのではないか。
「ひかるちゃん、背中流して」
「はい」
その疑問を、私は捨ててしまう。行動中にしてはいけないことの第一は、反省だ。
Continue
蕎麦が日本の専売特許ではないように、温泉も日本だけの名物ではない。
チェコやハンガリーの温泉に行きたいと思ってから、はや10年。なのに、スーパー銭湯にさえ行ったことがないのは、どういうわけだろう。
*
会議室にソファなどを入れた部屋が、控室にあてられていた。日曜日に連絡のあったとおり、衝立がやけに多い。窓だけでなく、出入り口まで二重に目隠ししている。かえって危険なので、いらない衝立を取り払わせた。
警護部職員は廊下を見張る。控室には陛下と私だけになる。
お茶をいれてさしあげ、一息ついてから、私は陛下に申し上げた。
「私の笑いかたが足りなかったようです。お詫び申し上げます」
「そーだそーだ。ひかるちゃんのせいなんだからね」
陛下はむくれておられた。といっても本気ではない。
「どこか痛むところはございませんか。お髪も整えねばなりません」
そういう私の髪も、シニヨンが崩れて、ひどいことになっている。
「腕が痛いなー。ひかるちゃんが乱暴にしたから」
「拝見します。お召し物を――」
言いかけて、気がつき、その先が言えなくなった。
「賜りたく?」
「腕を拝見するには、お召し物が邪魔でございます」
「そう? こっちのほうが気になるんじゃない?」
陛下はブラウスをつまんで示された。私はそれには構わず、陛下の前にひざまづいて、ブラウスのボタンに手をかけた。
そのとき、ノックの音がした。私はしぶしぶ迎えに出る。
ドアを開ける前に訊ねる、
「確認します」
「警護部の村田です。こちらの所長がご面会です」
私はドアを開けて、所長に告げた。
「護衛官の設楽と申します。さきほど警護のトラブルがあったため、いまはお通しできません。まことに勝手ですが、30分ほど後にお願いできませんか」
「その件もありまして参上しました」
所長のいうには、この市民ホールには温泉がある。今日は国王演説のため休業だったが、予定変更をきいて開けさせた。もちろん客は入れていない。ぜひ国王陛下にご入浴いただきたい――とのことだった。
「陛下にお伺いします。お待ちください」
と言うなり陛下は、
「入る!」
「――とのことです。ご好意にあずからせてください。
村田さん、経路の確保を」
その温泉というのは、小さな田舎町の市営施設としては豪華だったが、いわゆるスーパー銭湯と比べると、かなり見劣りした。壁が八犬伝のステンドグラスになっているのだけが物珍しい。湯は透明で匂いもない。
私は浴室の状況を確かめると、脱衣場の陛下にご報告申し上げた。
「安全を確認いたしました」
「はーい」
陛下はそうおっしゃったものの、お召し物を脱ごうとはなさらない。
すぐに私は気づいて、陛下のお召し物を脱がせてさしあげた。入浴のお世話をしたことはなかったので、一瞬わからなかった。
痛いとおっしゃっていた右腕は、目で見たかぎりでは、内出血などはなかった。それに、多少痛くても、こればかりは耐えていただくほかない。小銃弾に当たれば死を免れない。
「痛むのはどのあたりでしょうか?」
「ありがとう、もう大丈夫だよー。ひかるちゃんのおかげだね」
「光栄です」
下着の上までは、いつもお召し替えのお手伝いをしている。が、その先は初めてだった。
陛下が好んでお召しになるような華やかな下着は、手に触れるだけで、なにかが起こりそうな気がする。ショーツをカゴの中に入れたときには、爆弾を処理したような気分だった。
メイクを落とすのは陛下ご自身でなさる。私はその背後をお守りする。メイク落としが終わると、陛下は、
「ひかるちゃんも入るんでしょ?」
「私は――」
警護がある。
「入りなさい」
その、お声とまなざしに。緋沙子から聞かされた話を思い出して、私は思わず、身をすくめた。
陛下はすぐにそのまなざしを、優しい微笑みで隠された。
「命令しちゃった。ごめんね」
「かしこまりました」
私は携帯で本部にかけた。左手で携帯を操作しながら、ふとカゴの中の衣類が目に入る。何気なく、開いた右手でストッキングをとり、胸の前に持ってきた。
私も陛下に伴って入浴することを手短に告げ、電話を切り、顔を上げると――陛下はまだそこにおられた。一糸まとわぬお姿が目に入り、あわてて目を伏せる。
「ひかるちゃん、右手になに持ってるの?」
ご下問の意味がわからなかった。誰がどう見ても、陛下のストッキングに決まっている。
「陛下の――」
血の気が引いた。
「お許しください」
「ひかるちゃん、顔を上げて」
あの視線、いつもよりもまぶたの下がった目が、私を見つめている。
おかげで私はいくらか救われた気がした。私の醜態を、陛下は楽しんでくださっている。
「……たぶん、ひかるちゃんのそれって、直らないんじゃないかと思うの。
でも、悪いことしたんだから、おしおきしなきゃ、いけないよね。
それとも、しょうがないからって、あきらめてほしい?」
「いえ――」
「どうしてほしい?」
「どのようなお仕置きをくださっても、ありがたく励みにさせていただきます」
「……本当に、どんなおしおきでもいいの?」
「はい」
体が震える。冷や汗の出るような震えかたではなく、武者震いのような、いまにもはじけそうな。もし陛下の指が私の身体に触れたら――そう思うだけでまた震えがくる。
「そう?」
少し思案なさってから陛下は、
「譴責。今度は気をつけてね」
そうおっしゃって、すぐに浴室に入ってしまわれた。
私はまず拍子抜けして、それから、泣きたいような不安に襲われた。
私にまったく進歩がないので、それどころか悪くなっているので、あきれてしまわれたのだろうか。努力で取り戻せることなら、努力する。けれど、これは、努力でどうにかなるものなのだろうか。
涙はなにも解決しない。拳を握りしめて不安をこらえた。服を脱ぎ、化粧を落として、浴室に入る。
陛下は、湯舟の奥にある一段浅いところにおられた。半身浴の格好だ。私は陛下から3メートルほど離れたところで、肩まで湯に漬かる。
気まずいので視線をそらしていたかったが、護衛官には許されない。陛下はステンドグラスをご覧になっているので、視線の圧力を感じずに済んだ。
陛下は、あまり親密でない相手には積極的に声をおかけになるが、親しい相手からは話しかけられることを好まれる。この場合も、話しかけるのは私だ。
気まずいついでに、例の話題を切り出してみた。
「昨日、私の家を、平石さんに掃除してもらいました」
「知ってるよー」
「陛下が平石さんを選んでよこしてくださった、と聞きました」
「うん」
「それで私は不思議に思いました。どうして陛下は、せっかくの日曜日を、平石さんとご一緒に過ごされないのか、と。それとなく訊ねてみると、平石さんは、陛下のお顔を拝するのが辛そうな様子でございました」
嘘をついてしまった。けれど、こう言わないと、緋沙子が告げ口したかのように聞こえてしまう。
「……前置きはあとで聞くから、結論は?」
「恐れながら申し上げます。
もし平石さんの話が本当なら、陛下がなさっていることは、性的虐待です。たとえ陛下にはそんなおつもりはなくても、事実としては、平石さんの意に沿わないことを強いておられます。少なくとも私の耳には、強制があるように聞こえました。
平石さんは陛下のことをたいへん慕っておりますので、いますぐに問題になることはないでしょう。ですが陛下には、御身のお立場をわきまえてくださるよう、お願い申し上げます」
「ひかるちゃんは、ひさちゃんの味方なの?」
私は陛下のお顔をうかがった。いつもの陛下だった。表情が冷たかったりもしない。
「私は自分の信じたままを申し上げております」
「……性的虐待って、どんなところが?」
「平石さんに命じて、お身体を――胸などを触らせたことはございますか?」
「ひさちゃん、喜んでたよ?」
「そのような面もあるかと思います。平石さんの話を聞くかぎりでは、彼女の気持ちはもっと複雑のようでした」
「複雑って、どんな風に?」
私はゆだってきたので、湯舟のへりに腰かけた。
「陛下のお気持ちそのものは、嬉しく思っているようです。ただ、やりかたに問題があるようです。
事実に反した空想を共にすることを、彼女に強いておられる――そのように聞きました」
「ひかるちゃんの言ってること、難しくてわかんなーい。もっとやさしく言って」
陛下はまったく普段どおりであられた。
「空想というのは――」
そのとたん、陛下の視線が、まるでスポットライトのように、私に降りかかってきた。いつもよりまぶたの下がった、あのまなざしではない。いっぱいまで見開いた、興味津々、というまなざしだった。
私はその視線に身をすくめて、腰に腕を回した。
「私と平石さんが特に親しい、というものです。そういう設定を平石さんに押し付けて、その設定どおりに振舞うよう強いておられる――そのように聞きました」
「特に親しい、って?」
「……互いに身体を触れあって喜ぶような間柄、という意味です」
陛下は、なにか企みがありそうに微笑まれた。
「ひかるちゃんは、ひさちゃんが嘘ついてるかも、って思わなかった?」
「陛下は、嘘つきをお側に置くようなかたではございません」
「あーっ、今度は私のせいにするんだ。ずるーい」
それは鋭いところを突いていた。自分の信じたままを申し上げる、と啖呵を切った手前、こんな責任逃れはすべきではない。
「……陛下のおっしゃるとおりでした。お赦しください。
平石さんの言葉には、説得力がありました。ほかに説得力のある材料がないかぎり、彼女が嘘をついていると考えることはできません」
「ひさちゃんは嘘つきだよ――って言ったら、どう?」
「陛下のお言葉の説得力によっては、考えが変わるかもしれません」
「変えて。ひさちゃんは嘘つきなの」
いつもの陛下だった。苛立ちも、気負いもない。
私は絶望を感じた。陛下は、こんなかただったのだろうか。こんなに不誠実な、人を苦しめて悔やまないような。
そうかもしれない。先日の、外房のホテルでも、陛下はおっしゃった。『ま、そうなったら、ひさちゃんには辞めてもらうけどね』。
きっと私は、陛下の美しい面にばかり目を向けてきたのだ。
「出過ぎたことを申し上げました。お許しください」
「ひかるちゃんのはだかって、いままで見たことなかったなー」
唐突に話題が切り替わったので、一瞬、陛下がなにをおっしゃっているのか、わからなかった。
「ひかるちゃんは私のはだかなんて、しょっちゅう見てるのにね」
「――いまのお言葉は、平石さんから聞いたものと、そっくりです」
私の声は、自分でも驚くほど、低かった。けれど陛下は、唇の両端をつりあげて微笑まれ、おっしゃった。
「ひさちゃんは嘘つきなの」
「恐れながら陛下――」
「ひかるちゃんは、ひさちゃんの味方なの?」
さきほどと同じご下問だった。今度は、おっしゃることの意味が、逃れようもなく迫ってくる。
「はい。私は平石さんに肩入れしております。平石さんが事実を言っていると思うからです」
陛下はすぐにはなにもおっしゃらない。湯舟の中で立ち上がって歩まれ、私の隣に腰を降ろされた。
湯につかった肌の熱を、肩に感じる。長いこと湯舟のへりに腰かけていたせいで、私の肩はたうぶ冷えていた。
その熱に、衝動を呼び覚まされる。こんな時に。
「ひさちゃんは辞めないよ。ひかるちゃん以外の誰にも言わない。だから、ひさちゃんは嘘つきなの。わかる?」
「わかりかねます」
「嫌って言うだけで戦わない人は、嘘つきだよ。ひさちゃんは戦わない。弱いふりして、ひかるちゃんをたぶらかしてるだけ」
「平石さんは子供です!
それに、彼女が相談できる相手が、たまたま私しかいなかっただけです。私が責任ある立場の人間で、この件を慎重に扱うとわかっていたから、打ち明けてくれたのです。
それに、……恐れながらお願い申し上げます。どうか、平石さんのことを悪しざまにおっしゃるのは、おやめくださいますよう。彼女は私の友人です」
私が訴えているあいだに、陛下は湯舟から離れて、洗い場へと進まれた。私はそのあとにつき従う。
「シャンプーして」
仰せに従い、私は陛下のお髪を洗った。洗髪のお手伝いは初めてだった。肘まである長い髪を、毛先から根元へと泡立ててゆく。泡立つ様子は目にも楽しく、お世話をしている、という気分にひたれる。公邸でこの役を仰せつかっているメイドがうらやましい。
「……ひさちゃんはね、私のことが好きだって言ってくれたの」
「存じております」
「TVのあれだけじゃなくて、たくさん。
なのに、ひさちゃんを子供扱いして、いいのかな。私は、そんなことできない」
陛下はけっして中庸を知らないかたではない。お心をひかれない事柄にはいつも、バランスのとれた穏当なやりかたをなさる。ただ、いったんお心をひかれてしまうと、求めるものへとまっすぐに進んでしまわれる。
私はしばらく考えて、申し上げた。
「母親のするようなことを、平石さんにしてほしい――陛下のおっしゃったことです。では陛下も平石さんに、母親のするようになさってはいかがでしょう」
「したいなー。おっぱいあげたりとか」
緋沙子に授乳する陛下の図を思い浮かべて、私は言葉を失った。ありそうもないことなのに、生々しい。
「あ、ひかるちゃん、そういうの感じるんだ?」
「いえっ!」
声が半分裏返ってしまう。
「私はねー、感じるっていうより、あこがれるよ」
陛下は子供の家(孤児院)のお育ちであられる。それも、出生直後に捨てられていたという。
「…………」
あいにくお乳は出ませんが、もし私でよろしければ――と、喉まで出かかった。けれど、言えない。たとえ冗談でも、相手が私では、陛下の憧れを汚してしまうのではないか、と。
お髪のシャンプーを流し、コンディショナーをつけて流す。お髪を結わえ上げる。
公邸の慣習で、身体を洗うのはお手伝いしないと決まっている。私は申し上げた。
「これから私は自分の髪を洗いますので、しばらくご用を承れません。なにがございましたら――」
「ひかるちゃんの髪、洗わせて」
それで私と陛下は席を入れ替えた。
「ひとの髪にシャンプーするなんて、初めてだなー。ひかるちゃんは、どうだったの?」
「私も初めてでございました」
「面白いね、これ。自分の髪をシャンプーしてるときは、どんな風になってるのか見えないでしょう。あー、こうなってるのか、って」
「おっしゃるとおりです」
「そういえば――」
陛下は私の腰に腕を回して、へその近くの贅肉を、指でつままれた。私は飛びあがりそうになって、腕で腰を覆った。
「ひかるちゃんて、胸とかお尻じゃなくて、お腹を隠すよね。どうして?」
「存じません!」
私の腕の下で、陛下の指があいかわらず贅肉をつまんでいる。
「女の子って、一番自信のないところを隠すんだって。でも、ひかるちゃんのお腹って、スリムでいいなーって思うんだけど?」
今度は脇腹に指が触れて、また飛びあがりそうになる。
「存じません! お戯れはお止しください!」
「はーい」
陛下は洗髪の続きに戻られた。
「――あ、そうだ、ひかるちゃんのウエストって、スリムだけど、くびれてないんだね」
図星だった。
「ふっふー、私はウエスト55センチだよ」
「陛下のお姿さえ美しくあらせられれば、私は幸せです」
「そういう言い方って、愚痴っぽいよねー?」
「……では、陛下にお許しいただけるのなら、自分の体型も苦ではございません」
「許してほしいんじゃなくて、かわいがってほしい、でしょ?」
陛下のお手が、両の脇腹を撫でた。全身が、ぶるっ、と震える。
「それは望外の幸せでございます」
「そうそう、その感じ。そうでなくっちゃね」
会話が途切れた。シャンプーを流して、コンディショナーをつける。
「――ひかるちゃんの自信ないところ、わかっちゃったから、私の自信ないところ、教えるね。
私は、背が低いのが嫌」
それは、前々からなんとなく感じていたことだった。
どこがどう、と言えるような素振りは、なさったことがない。本当に、なんとなくだった。陛下は、表に出したくない感情を、ほとんど完璧に隠してしまわれるかただ。
「そのおかげで、私の細腕でも、陛下のお身体を抱き上げてさしあげられます」
警護対象を、肩に担いだりせず、両腕で抱え上げて移動できること。護衛官としての最低限の能力だ。
「腕で抱え上げるって、それ、お姫様抱っこ?」
「ええ」
「これ終わったら、湯舟まで運んで!」
「かしこまりました」
コンディショナーを流し、髪を結わえ上げていただく。
「陛下は座ったままでいらしてください」
大きく息を吸い込んで、気持ちを集中させる。両腕で、陛下のお身体を支える。気を失ってぐったりした身体よりはずっと楽だが、それでも大仕事だ。
ゆっくり、のしのしと歩くのは、かえって難しい。狭い歩幅で、素早く移動する。湯舟のなかにお身体を預けると、さっき地面にぶつけたばかりの背中が痛んだ。
そんな私の苦労をご覧になってか、陛下は、
「お姫様抱っこするのって、大変なんだね。知らなかった。ごめんね」
「いえ、貴重な経験をいたしました。訓練はしておりますが、陸子さまのお身体で試したことがございませんでしたので」
緊張が緩む。
ふと――どうしても、そうしたくなった。
私は湯舟に入り、陛下のお身体を抱きしめた。離れ際に、ごく短く、唇を重ねる。
「――不調法をお詫び申し上げます」
湯舟から上がろうとすると、
「……これで終わり?」
「いいえ。続きはいずれ、よい日を選んで、と考えております」
「ひさちゃんで練習してから?」
Continue
それぞれのヒット数にご注目いただきたい。
第三世代コンピュータ
第四世代コンピュータ
第五世代コンピュータ
第六世代コンピュータ
第二世代言語
第三世代言語
第四世代言語
第五世代言語
というわけで、第五世代コンピュータと第四世代言語が今もっとも旬らしい。
1年ほど前にJavaのORM(O/R マッピング)を調べた。そのときから、一番人気はHibernateだった。が、私は大いに気に入らなかった。
気に入らない点はいくつもあったが、なんといっても、「POJO」というバズワードだ。このバズワードは、臭う。かつて「has-a」だの「is-a」だのをこねくりまわしていた連中の匂いがする。
POJO党はコンテナ問題を持ち出すのが好きだ。いわく、コンテナ内でしか動作しないコードは、単体テストに時間がかかるのでよくない。だが、コンテナに依存しないこととPOJOであることは、まったくの別問題だ。コンテナの起動は時間がかかるので、コンテナへの依存性は最小限にしたいのは事実だ。しかし、永続化クラスに親クラスがないのが利点とは思えない。
(Cayenneの永続化クラスはCayenneDataObjectを継承しているが、コンテナのようなものは必要としない。引数のないコンストラクタでnewすることもできる)
POJO党は継承(特に多重継承)を嫌い、リフレクションを好む。私にいわせれば、リフレクションはsynchronizedやvolatileと同じくらい危険だ。世界のどこかには必要だが、可能な限り遠ざけておくべきものだ。
(CayenneはJavaのコードをツールで自動生成することでリフレクションを避けている)
『Hibernate イン アクション』を読んで、私はさらに論拠を得た。
筆者は、ORMのR(RDB)の部分を優先すべきだという。それと同時に、永続化クラス間に継承関係をつけられることを強調する。矛盾だ。よほど特定のRDBMSが好きなプログラマでもないかぎり、RDBのテーブル設計に継承などという概念は持ち込まない。
Hibernateの面倒くささは、この矛盾に端を発している。まるで、O側とR側にそれぞれ別のプログラマがいて、どちらも自分の設計を譲らない、という状態を想定しているかのようだ。
こんな状態を想定すること自体が間違っている。O側が譲るべきだ。さもなければOODBMSを採用すべきだ。データ構造とロジックでは、データ構造が上だ。
Javaは、委員会が設計した言語としては、史上初めての成功を収めつつある。委員会の呪いは、どこへ行ってしまったのだろう?――おそらくは、EJBへ。EJBにかけられた呪いときたら、並の委員会20個からそれぞれ代表を送って「委員会についての委員会」を作ったかと思われるほどだ。
EJB 3.0の永続化はHibernate風になるらしい。おそらく、今から3年後には、Hibernate風の永続化への呪いが世に満ちるだろう。
ほとんどありえないことだが、仮に、あなたはJavaのバイトコードとクラスローダを理解しているものとしよう。もし理解していなければ、この先を読むのは時間の無駄だ。
下をご覧いただきたい。
0: new #75; //class java/lang/StringBuffer
3: dup
4: invokespecial #76; //Method java/lang/StringBuffer."<init>":()V
7: astore_2
8: aload_2
9: ldc #78; //String ^$
11: invokevirtual #82; //Method java/lang/StringBuffer.append:(Ljava/lang/String;)Ljava/lang/AbstractStringBuilder;
これはMaven 1.0.2を使ってできたバイトコードだ。そしてこのコードは、どういうわけか知らないが、IBMのJ2SE 5.0ではNoSuchMethodErrorを投げる。AbstractStringBuilder関係らしい。
問題を絞り込むべく私は、小さいテストコードを使って、これと同様のバイトコードを生成させることを試みた。が、うまくいかない。失敗例を下に示す。
0: new #2; //class java/lang/StringBuffer
3: dup
4: invokespecial #3; //Method java/lang/StringBuffer."<init>":()V
7: astore_1
8: aload_1
9: ldc #4; //String Hello
11: invokevirtual #5; //Method java/lang/StringBuffer.append:(Ljava/lang/String;)Ljava/lang/StringBuffer;
約1時間の苦闘の末、私はようやく、AbstractStringBuilderが出る理由を発見した。maven-aspectj-pluginに含まれる(というか依存性解決でひっぱってくる)コンパイラのせいだ。
問題のバイトコードをテストコード上に再現できたので、問題を絞り込むことができた。
結論からいえば、IBMのJ2SE 5.0は、AbstractStringBuilder関係でSunのRIと互換性がない。上のバイトコードはRIのJavaVMでは問題なく動くが、IBMのJavaVMではNoSuchMethodErrorを投げる(x86/WindowsとPowerPC/Linuxで確認)。
遠距離狙撃の初弾はかわせるか。
ケネディ大統領暗殺のときの射距離は81m。遠距離狙撃に使うような銃弾の初速は1000m/s程度なので、発砲から着弾まで0.1秒もない。世界レベルの短距離ランナーでも、スタートの反応時間が0.12秒を切ることは稀だ。人間が関与していては絶対に間に合わない。
射距離400m以上になって、やっとわずかな可能性が出てくる。野球の打者が球筋を見分けるには0.2秒以上かかるので、デッドボールになる球に対しては、0.3秒未満の動作でかわしていることになる。射距離400mなら、あの程度にはかわせる可能性がある。
反応時間0.12秒は、神経を張り詰めさせて発砲を待ち構えているときの話で、平常時に0.12秒で反応するのは難しい。反応に0.3秒、動作に0.3秒として、射距離600m弱。この射距離では、動く標的を狙うこと自体が現実的ではない。
というわけで、遠距離狙撃の初弾はかわせない。夢のない話だが仕方ない。
*
月曜演説は正午から始まる。ただし国王が演説地に入る時間はもっと早い。
演説前に、その土地の有力者や、財団と縁の深い人物のところを訪れる。土地の有力者には、財団が推す政治家を伴ってゆき、選挙への協力を依頼する。財団と縁の深い人物には、一緒に写真を撮ったり、揮毫したりして、財団との結びつきを誇示する機会を与える。
ところが今日は、そうした予定がすべて演説後に変更になった。併合派テロ組織によるテロが計画されている、との情報が浮上したためだ。当初の予定より30分遅れて演説地に入り、到着から演説までの時間は、会場の控室でつぶすことになった。
控室の場所の件もあって、私は嫌な予感を覚えながら、公邸を出発した。
今日の演説地は、銚子の近くの田舎町だ。公邸そばのロシア陸軍基地からヘリで移動する。着陸までは護衛官はなにもできないので、陛下のお相手などをしながら、気楽に過ごす。
ヘリから降りて車に乗るまでのあいだが狙われやすい。1983年には迫撃砲によるテロがあり、ロシア軍兵士と財団職員に犠牲者が出た。
ローターの回転が止まり、車がヘリの前に横付けされる。財団の警護部職員が4人、ヘリの扉の前に並ぶ。
ヘリには装甲があるので、扉を閉じているあいだは、砲弾が直撃しないかぎり安全だ。乗員が何気なく扉を開けようとするのを、私は制止して、「安全確認をもう一度」と頼んだ。
「ひかるちゃん、なにかあったの?」
予防動作です、と私はご説明申し上げた。いつも同じタイミングで同じことをしていると、攻撃側にパターンを読まれる。ときどき違うことをすると、攻撃側はやりにくくなる。
「そうじゃなくて、ひかるちゃんの顔。ナーバスだよ」
「――申し訳ございません」
私は反射的に笑ってみせた。
「笑う門には福きたる、だからね」
陛下はご自分の頬に指をあてて、大きな笑顔を作ってみせてくださった。
と、イヤホンに、個人呼び出しの音がきた。私だけに聞かせている、という意味の音だ。
『状況は異状なし。無線に異常なければ、本部まで電話願います』
私は携帯電話で警護本部にかけて、異状なしと告げる。
扉を開けてもらい、車までほんの十歩ほどを歩く。まわりを財団の警護班4人が囲み、射線を妨げている。私は陛下の右斜め後ろを、体がぎりぎりぶつからない距離を保って歩く。傍目には何気ないこの動作が、実はとても難しい。初めてこの動作の訓練を受けたあとには、2日間は足腰が立たなくなった。警護対象から目を離して歩けるようになるまでに、一ヶ月かかった。
車は滞りなく、演説会場の市民ホールへと向かう。
施設の外周を警察が固めている。これといって普段と違うところはない。
通常の手順に従って、警護班、運転手、護衛官、国王の順で車から降りる。私は陛下の右斜め後ろを歩く。4人の警護班は、私よりも少し離れて、陛下を囲んで歩く。
と、イヤホンに、プッシュホンの6の音。
それは《発砲アリ》のサイン。
私は陛下の右腕をつかんで強くひっぱる。陛下のお身体は横に倒れながら回転する。警護部職員たちがこちらに飛びつこうとしているのが見える。私は陛下の倒れこむお身体の下に自分の身体を滑りこませる。
青空が見える。銃弾が飛来した感触はまだない。誤報か。
陛下のお身体を胸で受け止める。背中にアスファルトが叩きつけられる。防刃防弾チョッキが少しだけ役に立つ。陛下のお身体が私の胸にめりこむ。さらに警護部職員が降ってくる。私の身体は3人の巨漢に押し潰される。
銃声も着弾もない。誤報だ。
警護班のリーダーが、
「状況を願います」
『発砲閃光を検出しました』
「現場は銃声なし、着弾なし」
イヤホンから、本部のオペレータがうなり声をあげたのが聞こえた。
『誤検出です。状況に異状なし』
「状況に異状なし。了解しました」
私を押し潰している巨漢のひとりがぼやいた。
「なんでえ」
「さっさとどけ……」
私は息も絶え絶えになりながら抗議した。
Continue
旅にしろ書物にしろ、見聞を広めてゆくと、自分には理解できないものに出会う。その出会いこそが、見聞を広めることの魅力だ。
『自分には理解できないもの』というだけなら、見聞を広めるまでもなく、そのへんにいくらでもある。ただ、日常生活のなかでは、そういうものに気づくことが難しい。
たとえば20世紀初頭まで人類は、太陽のエネルギー源を知らなかった。だが、太陽を見上げて、「理解できない」と感じ続けるのは難しかっただろう。いつか、太陽のエネルギー源についての科学史を調べてみたい。
理解できないものは、いわば世界の窓だ。窓が開くかどうか――理解できるかどうかは、それほど大きな問題ではない。窓が存在する、ということが重要だ。窓は、世界の広さを教えてくれる。
最近の私のヒットは、「寝取られ」である。
これはどうにも理解できない。理屈はあれこれ聞いたが、理解できない。資質がないのだろう。
*
「…だから?」
確かに、嫌われているわけではない。散歩につきあってほしいと頼まれるくらいには、いい感情を持たれている。けれど、それが、なんなのだろう。
「その、慕うというのは、恋愛感情という意味です」
なるほど。私はため息をついた。
陛下は独占欲が強い。あまりに強いので、ときどき、やりきれない思いにさせられる。
私が友達から猫を預かったときのことだ。アーネストという名前で、珍しい種類の猫だった。世間話の折りに、その猫のかわいさについて申し上げた。私の留守中になにもなければよいのですが、とも。そのあと陛下は、事あるごとに、『アーネストのことが気になる?』とお尋ねになった。
陛下は私の関心をひとりじめなさりたかったのだ。私が何度、陛下のことが最優先と申し上げても、ご下問はやまなかった。猫が飼い主のもとに戻るまで、それは続いた。
「そういうの、私もやられたことがある。友達から猫を預かって――」
私は猫のことを話して聞かせた。けれど緋沙子は、暗く答えた。
「その程度のことでしたら、設楽さまを煩わせません。設楽さまを避ければ済むことなら、そうします」
「――今日ここにきたのは、陛下のお言いつけ、だったよね」
独占欲だとしたら、矛盾している。
「はい。
陸子さまのお考えでは、私は、……設楽さまを、気持ちのうえで慕っているだけでなく、……身体の結びつきもあるはずだ――ということになっています」
「それは、本気でそう思ってる? つまり、頭のおかしい人みたい?」
もし精神疾患なら、それ相応に対処しなければならない。
「いいえ。
私が事実を申し上げると、陸子さまはおっしゃいます。『そりゃわかってるけど、想像してみて』。そうして、設楽さまの魅力を滔々と語ってくださいます。
そのあとで、お尋ねになります。設楽さまについて、――きわめてプライベートなことを。身体の結びつきがある間柄でなければ、知りえないようなことを」
「……背中にいくつホクロがあるか、とか?」
緋沙子は、私を見下したように顔を後ろにそらせ、眉を寄せた。陛下のお言葉が思い出された。『ひさちゃんなんか露骨だよ』。こういうことか、と思う。
「それよりも数段、口に出すのが憚られるようなことです」
その言いように私は挑発されてしまった。
「私が信用できないなら、打ち明け話なんかしないでちょうだい」
「では、申し上げます。
陸子さまは私の手をお取りになって、ご自分の胸やお尻に持っていって、そこを触るようにとおっしゃいます。
そうして、お尋ねになります。『ひかるちゃんのここは、どうだった?』。私が事実を申し上げると、『想像するの。私はいっつも』――」
緋沙子は、ぱたっと口をつぐんだ。しまった、という顔だった。
「陛下への気遣いは、私がします。緋沙子さんは、自分のことだけ考えて決めて。言うべきかどうか」
「では、申し上げます。
『私はいっつも想像してるよー? 私、ひかるちゃんの裸も見たことないの。ひかるちゃんは私の裸なんて、しょっちゅう見てるのにねー。ひさちゃんはぜんぶ見たんでしょ? いいなー。どうやってひかるちゃんをかわいがってるの?』。
――陸子さまは、こういったことをおっしゃいます」
彼女の話は、私の心臓に響いた。頬が赤くなるのを、どうしようもない。
自分の体の反応に気づかないようなふりをして、私は、
「……教えてくれて、ありがとう。
できるだけ緋沙子さんの望みがかなうようにします。どうしたい? やめたいわけじゃ、ないんでしょう?」
「私よりも設楽さまのほうが、陸子さまのことをよくご存じだと思います。陸子さまにいいようにしてください。
ただ私は個人的に……その――」
緋沙子の頬が染まった。おかげで、自分の頬の赤さが、あまり気にならなくなった。
「いまさら遠慮するようなことなんてないでしょう。なんでも言って」
「――陸子さまのお申しつけくださるように、設楽さまの不埒なありさまを想像しても、よろしいで……」
「そこで恥ずかしがらないで! プレッシャーかかるじゃない。
だいたい緋沙子さん、私にこんな話きかせて、どうしてほしいの? 陛下とのトラブルは橋本さんに言うことでしょう? 想像なんて、私に黙ってすればいいじゃない、陛下だってそうなさってるんだから。
私は――」
しまった、と思った。
緋沙子の、いまにも泣き出しそうな瞳。
それは頬につたう涙よりも涙らしいと思う。
「――そういえば私、ひさちゃんのこと、なんにも知らないな。
ひさちゃんは頑張ってるから、大人に見える。私よりも大人じゃないかって思うこともある。尊敬してる。陛下がひさちゃんのこと好きなのも、当たり前だと思う。
ひさちゃんが大人に見えるから、つい、甘えちゃった。いけなかったね。ごめん」
緋沙子はうつむいてハンカチを目にあてた。
私は、その顔を見てはいけないような気がした。席を立ち、彼女の後ろにゆく。
両腕を、彼女の胸に回す。
しばらくして、ハンカチをポケットに戻すと、緋沙子は私の手を握って、
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
「……設楽さまはさきほど女中頭のことをおっしゃいましたが、女中頭は私をやめさせたがっています。こんなことは打ち明けられません。
陸子さまのなさったことが、国王という立場に照らして許されるものかどうか、私にはわかりません。もしまずければ、陸子さまにとっていいようになさってください。
もし許されるものなら、私はこのまま陸子さまにお仕えしたいです。ああいう……親密なお振る舞いには、とまどうこともありますが、嬉しく思います。
ただ、設楽さまのことを、隠れてあんな風に……ダシにするのは、気が……とがめました。設楽さまはこんなによくしてくださるのに。でも、そういう問題ではないんですね。
……でも結局は、話を……話を、きいてほしかっただけです。誰にも言えないのが……辛かっただけです」
「公邸に戻りたくなった?」
「……はい」
迷いが、声に出ていた。
「仕事の帰りにいつでも、うちに寄っていって。話相手が私でよかったらね」
「ありがとうございます」
その日の夜は、緋沙子はやってこなかった。
Continue
IBMがJ2SE 5.0のSDKを出したので、SciMark 2.0aでベンチマークをとってみた。
SciMark 2.0a
Composite Score: 150.24816882831092
FFT (1024): 157.13879099606382
SOR (100x100): 199.31267727571196
Monte Carlo : 23.84821129806348
Sparse matmult (N=1000, nz=5000): 95.33895738869712
LU (100x100): 275.6022071830182java.vendor: IBM Corporation
java.version: 1.5.0
os.arch: ppc
os.name: Linux
os.version: 2.6.8-powerpc
ちなみにJ2SE 1.4.2のときのComposite Scoreは172。このスコア悪化は、VMがJ9 VMに切り替わったためと思われる。
MacOS X 10.4のJ2SE 5.0でもベンチマークをとってみた。
SciMark 2.0a
Composite Score: 93.25890269272251
FFT (1024): 52.766234658832936
SOR (100x100): 196.46766895179724
Monte Carlo : 15.356719852960438
Sparse matmult (N=1000, nz=5000): 91.27576819895879
LU (100x100): 110.4281218010632java.vendor: Apple Computer, Inc.
java.version: 1.5.0_05
os.arch: ppc
os.name: Mac OS X
os.version: 10.4.3
指定職4号俸について。
国会議員などの例外を除いて、公務員の給与はポストごとに「××職×号俸」という具合に定められている。たとえば事務次官(官僚のトップ)は指定職11号俸だ。「××職×号俸」の具体的な金額は毎年の人事院勧告によって変わるが、ポストと「××職×号俸」の対応は変わらない。
指定職4号俸があてられているポストは、本省の局次長、審議官、外局の次長といったところだ。大企業でいえば役員クラスの最下層にあたる。
*
日曜日には、国王の仕事は休みになる。
土曜日も原則として休みだが、丸一日なにもない日のほうが少ない。昨日も陛下は老人ホームをご訪問なさった。ただし護衛官は土曜日には滅多に警護しない。国王には12人のメイドと3人のコックがついているので、休日が少なくてもなんとかなるが、護衛官には一人もいないのだ。
日曜日は、国政選挙の公示期間中でもないかぎり、丸一日休みになる。もちろん護衛官もお休みだ。
私は早起きして、部屋をざっと片付けた。掃除機をかけたりするのは、メイドの仕事にとっておく。今日は公邸からメイドがきて、屋内を掃除してくれる。護衛官の官舎は一人暮らしするようにできていないので、家事を手伝うために、財団がときどきメイドをよこしてくれる。
片道30分のスーパーに行って、食材を買い込む。
昼食前、一週間ぶりに料理というものをする。料理といっても、もりそば。いつもは財団の職員寮の食堂で食べている。『護衛官専用』と銘打って、職員とは違う献立を作ってくれている。聞いたところでは、陛下のお食事と同じものだという。予備の食材のおさがりなのだろう。さすがにおいしい。ただし食器は食堂のものだ。
料理しながら、食べながら、たまっていたTVアニメの録画を流す。陛下はTVアニメがお好きなので、話題にできるように見ている。内容自体はつまらなくても、陛下のご感想を想像しながら見ると面白い。
食べ終わった皿や、そばを茹でた鍋などを、洗わずにキッチンのシンクに置いておき、これまたメイドの仕事にする。30秒もあれば片付いてしまうが、こういう細々した仕事がないと、メイドは不安そうな顔をする。
録画を見ながらメイドを待っていると、チャイムの音がした。玄関に迎えにゆく。
背の高い姿。
「あら、今日は平石さんなの。陛下のお言いつけ?」
「はい」
つまらなそうな顔をしている。無理もない。陛下のお側にいられるはずが、私の世話をさせられるのだから。
平石緋沙子に掃除をまかせて、私は録画の続きを見る。彼女はキッチンから取りかかった。
メイドたちはみな惚れ惚れするほど掃除が素早い。巨大なカゴに掃除道具をひとまとめに入れていて、作業にふさわしい道具が一瞬で出てくる。雑巾だけでも3種類くらいを使い分けているらしい。
平石緋沙子には、あんな名人芸ができるのだろうか。気になってちらちら見ていると、少しもひけを取らない。
私は、仕事中のメイドに用もなく話しかけることは、めったにしない。けれど今日は、どうしても口をきいてみたくなった。私はビデオを止めて、キッチンに入った。
「掃除のしかたって、イギリスでも同じなの?」
「基本は同じです。相手と道具を知ったうえで、段取りを組み立てるんです」
「それって、どんな仕事もそうなんだけど」
「公邸は日本建築ですから、勝手が違います。でも道具は同じようなものです」
そうして、しばらく無駄話をした。
バッキンガム宮殿のスタッフはみなひどい薄給らしい。洗剤は日進月歩のハイテク産業だという。ブラシは、先が少しでも丸くなったら、すぐに取り替えなければならない。
キッチンとダイニングの掃除はすぐにすんで、平石緋沙子は別の部屋に移った。私はダイニングで録画の続きを見て、それがすむと、ファッション誌をめくる。
陛下のお姿はさまざまなメディアに出ているが、一番よく撮れているのは、ファッション誌だ。モデルにくらべると背が低いのが目立ってしまうものの、ポーズや仕草の美しい瞬間をよく選んでいる。陛下のこういうお美しさは、写真ではなかなか伝わらない。陛下ご自身も、写真よりもTVを好まれる。
(もっとも、一番ご贔屓のメディアは、ラジオなのだが。陛下は小学生のとき、声優を目指しておられた)
ファッション誌にはたまに、私の服装が取り上げられていることもあるが、なるべく見ないようにしている。モデルはみな背が高いのに、私のようにあまり背の高くない女がマニッシュなパンツスーツを着ているのは、どうしても格好のいいものではない。
のんびりしているうちに、FAXが届く。明日の月曜演説の警備についての連絡だった。
国王は毎週月曜日の昼に、国内各地を訪れて、演説をする。内容はつまるところ世間話だ。演説の開催地への共感を表し、前の週にあった大きな出来事をとりあげて感想を述べ、国王自身の個人的な出来事を話し、千葉の独立を称える。無難な話題が欲しいときは、月曜演説の話をすればいい、というくらいのものだ(相手が割譲派や併合派でないかぎり)。
聴衆を集める都合上、月曜演説の開催予定は前々から発表されている。会場には小中学校の体育館や公民館が多い。こういう会場では、聴衆の最前列から演壇の上の陛下のところまで、3秒で到達できる。会場の警備には地元警察があたるので、警護とのすりあわせに苦労することが多い。護衛官としては神経を使うイベントだ。
FAXの内容は、私の要望に対する回答だった。小銃や望遠カメラで控室を狙える地点が多すぎるので、控室の場所を変えるよう、地元警察に要望していた。回答は、場所は変えない、そのかわり衝立を増やす、だった。
私はFAXをファイルに放り込んだ。なめられているのは明白だが、いまからではなにもできない。
ファッション誌を見ながら、インターネットを調べて回る。着る機会がめったにないような服にかぎって気になる。少々買っても痛むような懐ではないけれど(護衛官は指定職4号俸だ)、あとで処分したときに悲しい気持ちになる。
と、
「設楽さま、屋内の清掃が終わりました。ご用をなんなりとお申しつけください」
私は時計を見た。午後4時。早く陛下のもとへ戻りたいことだろう。お側仕えのメイドたちはみな職業的な笑顔が上手なのに、平石緋沙子は仏頂面をしている。
少し、意地悪をしてみたくなった。
「お茶を入れて。二人分」
メイドにお茶を注文するときは、ちゃんと『二人分』と言わないと、私の分しか持ってこない。
早く戻りたい一心で、大急ぎでおざなりに入れてくるかと思いきや、たっぷりと時間をかけた。
2客の茶碗をダイニングテーブルに置くと、平石緋沙子はテーブルにつかず、後ろに下がって立った。
「座って、飲んで」
「恐縮です」
入れてもらったお茶を飲みながら、自分の15歳を振り返った。
おいしいお茶の入れ方など、知っていただろうか。思い出せない。きっと知らなかった。たとえ知っていても、こんなときに、時間をかけてお茶を入れることができただろうか。とてもそんな気がしない。
私は改めて、平石緋沙子を尊敬する気持ちになっていた。
「ひさちゃんは、日曜日にお仕事なんだ。お休みは何曜日?」
思わず、『平石さん』ではなく『ひさちゃん』と言ってしまった。陛下の呼び方がうつったらしい。
「月曜と火曜です」
「今日が終わったら、水曜まで陛下と会えないんだね。早く帰りたいでしょう」
私は意地悪を言ったつもりだった。
「……いいえ」
重い言葉だった。
思えば、彼女がここに来たのは、陛下のお言いつけだという。愛しい中学生メイドとゆっくり過ごせる、せっかくの機会なのに、なぜ私の家の掃除をさせるのか。おかしいと気づくべきだった。
どう応じたものか、私はしばらく悩んでから、
「――陛下と喧嘩でもしたの?」
「いえ」
あまり深くたずねないほうがいい、そんな気がした。その一方で、陛下のことを知りたがっている私がいる。
「陛下のこと、嫌いになった?」
「お慕い申し上げています」
どうも、事情はひとつしかなさそうだった。
「陛下に、なにか――セクハラされた?」
「……国王の名誉を守り、威厳を高揚することも、護衛官の使命のうち。そうですね?」
ただごとではなさそうな雲行きだった。ふざけて胸を触られた、くらいではすみそうもない。
「ええ」
「ですから、設楽さまに相談すれば、陸子さまのためになるようにしていただけると思います。
――陸子さまは、私が設楽さまのことをお慕いしているのだと、思い込んでおられます」
Continue