声優の伊藤静の名前を見ると、作家の伊藤整に引っ張られて、「いとうせい」と読みたくなるのは私だけではないはずだ。
と思ったが、Googleでは見つからない。もうチャタレイ事件のことなど誰も覚えていないというわけか。
花井愛子という作家のエッセイに、こんなことが書いてあった。
鏡に自分の顔を映して見るとき、人は、無意識に表情を作ってしまう。しかし私の部屋には大きな鏡が置いてあるので、作っていない自分の表情が見えることがある。ブスな顔が映っていると、驚き、気を引き締めることができる――記憶だけで書いているが、たしかこういう内容だった。
表情と同じく姿勢も、作っていない自分の姿を見ることが難しい。
*
私は仕事を終えてすぐ、緋沙子の携帯にメールを出した。仕事の帰りに、うちに寄ってほしい、と。
玄関に現れた緋沙子は、以前と変わりなく見えた。無愛想で、どこか寂しげな。
居間に通して、お茶を出す。陛下のご様子のことを話す。なにも以前と変わらない。
ティーカップのことから、食器の話になり、緋沙子は言った。
「今度、うちに遊びにきてください。食器の通販カタログとか集めておきますから」
「まだ買ってない食器があるの? なに?」
「いえ、買ってないわけじゃないんですけど、……そのへんで適当に買ったのだから、恥ずかしくて」
緋沙子の頬が赤くなっているのに気づく。私はわざと意地悪を言った。
「わかった。通販でよかったら、私が買ってあげる。もらってくれる?」
「あの……」
うろたえる緋沙子は、目を伏せて、身体を小さく左右に揺らしている。けれどすぐに、身体を揺らすのをやめて、私をまっすぐに見つめた。
「買ってくださるのでしたら、嬉しいです。でも私は、設楽さまと一緒にいたいんです」
「今日、うちに来てもらったのも、その話がしたくて、かな」
この展開を予想していたのだろう、緋沙子はすかさず、
「私は設楽さまと一緒にいたいんです。陸子さまだって、わかってくださいます。設楽さまさえよろしければ、陸子さまになにもかも申し上げます」
「まだ申し上げてないの。どうして?」
「それは、設楽さまにもかかわることですし、それに女中頭の件もありますから、その、デリケートな問題です。設楽さまにご相談せずには申し上げられません」
「デリケート、ね。わかってるじゃない。陛下のお側で、あんなことしたわりには」
私は右手を広げてみせた。
「あれは――あれは、陸子さまが、私にとりついてるみたいに――
……前に、お話ししたと思います。陸子さまに、身体の一部を乗っ取られてるみたいな気がする、って。それなんです。
その乗っ取ってる陸子さまが、手を握ってるのを見たら、気持ちいいんだってわかって、それで、……」
「私と一緒にいたいのも、陸子さまのせい?」
「――よくわかりません。でも、もうじき、わかるようになると思います」
「なら、わかるまで、胸にしまっといて。人のせいにするのは、よくないよ」
「帰ります」
緋沙子は即座に席を立ち、出てゆこうとした。
私が立ち上がると、気配を感じたのだろう、足を止める。その背中を、後ろから、抱きしめる。
「私のせいにも、しないでね」
「はい」
「陛下には私から申し上げる。でも、もしお尋ねになったら、事実を申し上げて」
「女中頭のことはどうしますか」
「それも事実を」
どうしてあんな場面ができあがったのか、私は話していないし、緋沙子も尋ねていない。
腕を解くと、緋沙子は向き直り、ぺこりと頭を下げた。
「お邪魔しました」
居間の窓から、夜道をゆく緋沙子を見送る。その歩く姿を見ながら、思う。
彼女はいつも背筋をまっすぐにして、ぴんと胸を張っている。それは、孤独だからだ。背中を丸めると、孤独に押し潰されてしまう。
私は少し猫背だ。お身体の小さい陛下にあわせるために、屈むことが多いせいでもある。けれど、きっと一番の理由は、私が孤独ではないからだ。家族や友人に、それになにより、仕事に恵まれている。
そういえば陛下も、いつも胸を張っておられる。
家族はともかく友人には恵まれたかたのように思えるし、国王の仕事には情熱を傾けておられる。僭越ながら私も精一杯お仕えしている。けれど陛下は、それだけでは埋められない何かを、抱えていらっしゃるようにようにも思える。
国王という重責が、その何かなのかもしれない。けれど。
Continue
1988年からソ連崩壊にかけて、モスクワのある地区党組織(オクチャーブリ地区党委員会)の活動をリアルタイムで調査した本である。『東京発モスクワ秘密文書』(新潮社
)と内容はほぼ同じらしい。一般にはこちらのほうが手に入れやすいだろう。
さて内容だが、素晴らしい。日本語で読めるソ連本のなかでは、五本の指に入る。
地区党組織の日常業務は、まさに本書の内容なので現物を読んでいただくとして、私の興味について言いたい。
1991年前半の時点で、エリツィン派(いわゆる地域間グループ)の権力基盤が崩壊しつつあったことが本書から読み取れる。
そもそも、遠く離れた目で見れば、モスクワ市民はモスクワに住んでいるというだけで既得権益にあずかっている。文化、教育、物資などのあらゆる面で恵まれているのに、市場原理がないので家賃は安い。損得でいえば既存体制を支持すべき人々である。実際、オクチャーブリ地区の人々は、地区ソヴィエトが地域間グループの手に落ちた直後に地上げにあい、アパートを追い出されようとしている。
モスクワ市民が地域間グループになびいた最大の理由は、彼らが新鮮で、党には飽き飽きしていたからだ。だが新鮮さが失せれば、どちらにつくのが得か、わかってくる。オクチャーブリ地区では1991年前半の時点ですでにそうなっており、地区ソヴィエト議長(イーゴリ・ザスラフスキー)は1991年7月に辞職に追い込まれた。
客観的には、党は、主要な人々をきっちりと買収していた。選挙ではいざ知らず、クーデターや内戦では、モスクワ、レニングラード、キエフなどの大都市を掌握すればあとは自動的についてくる。1991年の党上層部に、クーデターを待望する空気があったのは、こうした客観的条件のゆえだろう。
実際のクーデターはあの通りの結果に終わった。失敗の原因はいくつも挙げられる。だが、首謀者たちの意思決定過程は、今日までほとんど明らかにされていない。裁判はうやむやにされてしまい、登場人物は勝手なことを言うばかりで証拠は出てこない。となると、首謀者たちが判断の根拠にした材料を見てゆくべきだろう。本書は、首謀者たちの目に映っていた判断材料のひとつを明らかにしているかもしれない。
話は飛ぶが、本書36ページから。
私はまず、地区党委員会で働く職員の数から聞き出すことにした。
「ここには、五十八人の党員がいます」
「地区内の党員数を教えてください」
「今日現在、五万二百九十人です」
「党員の中で、高等教育を受けた人はどのくらいいますか」
「全体の五十八パーセントです」
「地区党委員会は、住民から投書を受け取っていると思いますが、その数を教えていただくことはできるのですか」
「昨年の統計になってしまいますが、千七百八十四通です。その内訳は……」
驚いたことに、ラヴリョーノフ補佐官はなにも見ずに、こうした数字を次々に答えていくのである。
お前はアンジェリークか。
あえてどれとは言わないが、某新書の中身は本当にひどい。というわけで、今日のGoogleはこれだ。
本はタイトルが9割
民主的な国なら、首相や大統領に投じられる費用(給与や警護)は、その国の一人当たりGDPによってだいたい決まる。
が、立憲君主制国家の君主に投じられる費用は、一人当たりではないGDPに大きく影響される。たとえば、日本の皇室予算は約250億円、デンマーク(人口541万人)の王室予算は約11億円だ。
*
水曜日、陛下は本当にお風邪を召された。
熱や咳はそれほどでもないものの、お声が出ない。まったく出ないのではなく、出すと痛むとのこと。昼食をご一緒した際も、仕草や表情ばかりで、お声はほとんど聞かれなかった。楽器の奏でるような鮮やかなお声をなによりも誇りとなさる陛下にとっては、辛い病状にちがいない。
それでも陛下は、この休日を有意義に過ごされているようだった。昼食のときに当番のメイドから聞いた話では、TVゲーム、アニメ、読書と、趣味に熱中しておられるとのこと。
私は、執務室で書類仕事をしていた。今日の課題は、攻撃のシナリオだ。警護の隙を突くシナリオを書き、その成功の可能性を評価することで、警護の改善に役立てる。
午後3時、おやつをご一緒するために、お部屋に伺う。
陛下が公邸で昼食をとられるときには、お側仕えの者は全員ご一緒する。だから陛下のお声がなくても、賑やかに過ごせる。けれど、おやつの時間には、ご一緒するのは私だけだ。当番のメイドはついているものの、お仕事モードで、雑談にも加わらない。
陛下はお布団の上に座っておられる。ときどき私がしゃべり、陛下は仕草と表情で応えてくださる。あとは、静かにお菓子を食べ、お茶を飲む。不思議な気分だった。
「では、下がらせていただきます」
私が腰を上げると、
「たいくつ」
と、陛下がひとこと、おっしゃった。
「私でよろしければ、無聊をお慰めします。昔話でもいたしましょうか」
この昔話というのは、私が口からでまかせに作るものだ。とりあえず『昔むかしあるところに』と言ってから、話を考える。
陛下は首を左右になさり、
「ひかるちゃんも、たいくつして」
私は微笑んだ。
「ここにいるだけで、よろしいのですか? では、喜んで」
陛下はお布団に横になられた。私はその側に座っている。当番のメイドが、おやつの皿などを持って下がり、二人きりになった。
眠気を覚えられたのか、陛下のまぶたが下がる。私はそのお顔を見つめていた。目を閉じたお顔をこんなにじっくりと拝見したのは、初めてだった。見慣れたお顔は、少し様子が変わるだけで、見ていて飽きない。
ふと、まぶたが開く。
陛下と目が合う。私は微笑み、視線をわずかに外した。
すぐにまた、まぶたが下がる。私はまたお顔を見つめる。
陛下のお顔は骨格からして美しいが、肌のお美しさときたら、基礎化粧品の広告に出られそうなほどだ。美容担当の働きがいいのだろう。今度、遠野さんに会ったら、褒めてあげなくては。
まぶたが開く。
さきほどと同じように、私は微笑んで視線を外す。すぐにまぶたが下がり、私はまたお顔を見つめる。
陛下のお顔は美しく整っておられるものの、完璧な均整ではない。丸顔で品がない、という悪口は、当たっていなくもない。けれど、もし完璧に整っていて、品のある面長の顔だったら、それはただの別人だ。私が自分の顔を変えたいとは思わないように、陛下にも違うお顔であってほしいとは思わない。
まぶたが開く。
「たいくつして、ないでしょ」
「はい。申し訳ございません」
「あっち見てて」
陛下は障子のほうを指で示された。私は仰せのとおり、障子のほうを向いた。
もう見るべきものはなく、思いをかきたてられることもないのに、私はわけもなく、わくわくする。わくわくしている自分がおかしくて、それがまた楽しい。
陛下の息の音が聞こえる。眠っているように穏やかな。
時間が止まっているような時間だった。この時間は終わることなく、永久にこのまま続くような。
お布団から衣擦れの音がして、陛下はおっしゃった。
「て」
見ると、陛下の御手が、お布団からはみ出していた。手のひらを上にして、誘うように開いている。
私は、自分の左手を重ねた。御手はそれをつかむと、布団の中にひっこんだ。
指をからめるように、互いの手を握りあう。
「……これでは、退屈などできません」
「もういいの」
時間の感覚が遠のく。
いつのまにか陛下は眠りについておられた。規則正しい息の音が、ますます時間の感覚を遠ざける。
静かに襖が滑り、緋沙子が現れた。時計を見ると、確かに4時だった。緋沙子がくる時間だ。
私は口に指をあてて、声を出さないようにと伝えた。緋沙子はうなずき、無言のまま忍び足で私のそばにきて、座った。
私の左手が、陛下のお布団の中にあるのを、いぶかしく思ったらしい。指でさして、目顔で尋ねる。説明のしようもなく、私は右手を差し出した。
その右手を、緋沙子は、両手で握りしめた。
そのとき私は目を丸くしていたと思う。緋沙子は私の反応を窺うように、上目づかいに私を見ていた。
驚きが収まったころ、私の手の指先を、口に含んだ。舌で、ちろりちろりとなめる。前歯で、甘噛みする。
私は手をひっこめた。
緋沙子は恨みがましそうな目で私の顔を見た。すぐに立ち上がり、また忍び足で離れてゆく。
緋沙子が出ていって、初めて気がつく。
まずいことになった。
Continue
私のみるところ、憲法以外の法学の世界は、「そもそも論」をかなり軽視する。「そもそもこの法律が制定された目的は~」というような歴史的事実に基づいた議論よりも、「なんとなくこれでいいんじゃない?」というようなフィーリングを大事にする。昔の話よりも、ノリのほうが大切なのだ。そのかわり、現時点での整合性はかなり重視される。「AもBもイマっぽくていいけどさあ、AとBは両立しないよ」というツッコミは深刻に受け止められる。こうしてAとBの対立が始まり、法学教授に暇つぶしや生きがいを提供する。
こういうフィーリング重視の世界では、権威がものをいう。インディーズブランドがなにを主張しても蟷螂の斧で、有名ブランドがすべてを決める。日本の法学では、東大法学部教授の論文や、裁判所の判決が有名ブランドだ。なかでも最高裁判決の権威は比類なく、これと両立しない説は存在することさえできない。
というわけで、私の意見など、仮想戦記のようなものだ。筋は通っているかもしれないが、その筋が現実に試されることはありえない。
ついでにいえば、私自身の信念としては、刑法175条は廃止すべきである。良い悪いという以前に、馬鹿馬鹿しい。こんな法律が存在していること自体、時間と金の無駄だ。
では本題に入ろう。
まずは保護法益だ。刑法175条の保護法益には、青少年保護を入れないことにする。
「刑法175条は青少年を保護するためのもの」――この説は、最高裁判決ではノーコメントだし、「関係ねーだろ」とはっきり書いてある高裁判決も出ている。が、どういうわけかこの説を言いたがる弱小ブランドがある。どこかの新興宗教が担いでいるのかもしれない。
保護法益は、「健全な性道徳の維持」、これ一本でいく。猛烈に馬鹿馬鹿しいと個人的には思うが、判決文には手ごろなお題目だ。
次に、猥褻性の判断において、文書・図画の内容だけではなく流通の様態も考えに入れる。というより、内容だけで判断しようとするほうが無理だ。どう頑張っても、「俺にはわかる」という基準になってしまう。つまり、反証可能性がない。対して、流通の様態とは人間の行動であり、人間の行動なら反証可能だ。
さて、ここからがウルトラCだ。
憲法21条(表現の自由)を、違法性阻却事由として認める。それと同時に、問題となった文書・図画の流通において受け手を公然と選別した場合、その選別に関与した者は、憲法21条の定める保障を放棄したものとする。
この「保障を放棄」というウルトラCを、正当化することはできるか? インディーズブランド以下の存在である私に言わせれば、十分に可能だ。
憲法21条が保障するのは、発表の自由だけだろうか。厄介なことを言う人間の口をふさぐかわりに、そいつの声の届くところにいる人間の耳をふさいでも、同じ効果が得られる。憲法21条は、国家に耳をふさがれないことも保障する。知る権利というやつだ。
憲法は国家を縛るものなので、私人と私人のことには関係ない。「選挙演説したいからお宅の庭を貸してよ」と頼まれても、「この話、あいつには秘密な」という内緒話を広めても、憲法21条とは関係ない。他人の耳をふさぐ行為も、国家がやれば憲法違反だが、私人がやるぶんには憲法とは関係ない。
とはいえ、である。
他人の耳を好きなようにふさぐ奴が、自分の口は憲法21条で保障されたいというのは、おかしくないか?――「そりゃ、おかしいな」が答なら、このウルトラCは成立する。
この「おかしいな」のフィーリングを、どう形にするかが法学だ。「それもおかしいだろ」が入り込まない形にしなければならない。たとえば、コンテンツフィルタリングソフトの開発会社は他人の耳をふさぐのに関与しているが、だからといってこの会社を憲法21条の保障外に置くのはおかしい。こういうおかしさのない形になるよう、ものごとをまとめるわけだ。
憲法レベルでは、あまり話を詰めても意味がない。具体的な法律を適用するときに、ちょうどいい形になればいい。この場合には、刑法175条・違法性阻却・保障放棄の三段重ねだ。
この三段重ねは、「それもおかしいだろ」を、どれくらい免れているか? これは一人で考えているだけではなかなかわからないので、ツッコミ待ちをするしかない。有名ブランドがツッコミ待ちをしていると、他の有名ブランドがせっせとツッコんでくれるが、インディーズには誰もかまわないので、ツッコミ待ちはここで打ち切る。
この説が、もし最高裁判決に採用されると、どうなるか?
一般の人々は、より安全に、自由になる。ブログに好きなことを書き、好きな写真をアップできるようになる。ホスティング業者も、刑法175条をたてにケチをつけたりしなくなるだろう。
ポルノ産業は、「18禁」のような表示をやめることはないだろう。ポルノ産業はこうした障壁なしには成り立たない。障壁を維持するために、刑法175条でしょっぴかれるリスクを背負うことになるが、そのリスクは現在のものと同じだ。
(念のために付け加えておくが、現在の判例・実務では、「18禁」のような表示と刑法175条にはなんの関係もない。この表示をしているからといって、検挙を逃れるわけでもなく、受けやすくなるわけでもない)
ポルノ以外の各種レーティングは、保障放棄のリスクを逃れるため、保護者をサポートするだけの緩やかなものにとどまる。「酒・タバコは二十歳になってから」のような緩やかなレーティングよりも、機械的で水も漏らさぬレーティングのほうが安くつく、という世界はすでに目の前に迫っている。こういう世界にはなにかしら恐るべきものがある。逆説的でトリッキーだが、刑法175条を使うことで、そういう世界が訪れることを阻止できるわけだ。
非ポルノ産業の表現者には、広大な自由が保障される。この自由のうえに、なにが築かれるか? それはもしかすると、玄鉄絢『少女セクト』2巻(コアマガジン)に書いてあるかもしれない。7andy
書くことは少しだけ戦争に似ている。
「おれは三回ヴェトナムに行ったが、何度か危ない目にあったことがある。そんなときは、小便をちびるほど恐ろしい。それでいいんだ」(スティーブン・ハンター『極大射程』下巻286ページ 7andy)
*
その晩、美園から電話があった。
着信するなり開口一番、
「ひかるさん、この屈辱は忘れないからね。一週間くらい」
「そうですか。私はもう忘れました」
「忘れた? なにを?」
「手枷足枷に首輪にコルセット、こちらで預かっています」
「もう悪者やめたから聞くけどさ、そんなに嫌だった? それなら謝りたいんだけど」
「わかりません。忘れましたので」
余裕綽々で応じていると、矢のように飛んできた。
「でも私の匂いは覚えてるでしょう」
鼻孔に、あの健康な汗の匂いが、よみがえる。
「やめてください」
思わず声が低くなる。
「あれのせいで変な癖ついた? 責任は取るよ。欲しくなったら言って。おやすみ」
電話が切れた。
*
「私ねー、もうじき風邪ひくかも」
帰りの車中で、陛下がおっしゃった。
「なにかお身体に障りがございますか?」
月曜日は、国王の1週間のなかで一番辛い。月曜演説だけでも移動や準備で負担が大きいうえに、演説地の地方党組織の幹部と会うことが多い。これは、国王だからといってちやほやしてくれるような相手ではない。特に今日の相手は、名うての割譲派だった。
「それはないんだけどー。予感っていうか、予想っていうか、予定っていうか」
つまり、仮病でずる休みをしたい、という意味だ。私は微笑んで、
「かしこまりました。ご不例は明日でしょうか?」
「たぶん、あさって」
その『たぶん』が気になった。運転手に聞こえないよう声をひそめて、
「月のものでしょうか?」
「なにそれ?」
「つまり、生理でしょうか?」
「……えいっ」
陛下は握り拳で、私の眉間をごつんとなさった。かなり本気の一撃だった。涙が出てきて、ハンカチをあてる。
「明日はひさちゃんがお休みでしょー?」
「恐れながら申し上げます。私をお叱りくださるのは嬉しいのですが、罰はもう少し手加減くださいませ」
「ひかるちゃん、目が恐いよ? いけないなー、もっとしてあげる」
私は罰を覚悟して顎を引いた。けれど陛下は、
「うそうそ。いたいのいたいの、とんでけー」
と、おまじないをかけてくださった。
「ありがとうございます」
私が幸せに包まれていると、
「……あ、生理って、そっかー。ごめんね」
なにごとかを納得なさったらしく、うなずかれた。私はわけがわからず、
「なんのことでしょう?」
「え? ちがうんだ? なーんだ」
私がとまどっていると、陛下は私の耳に囁いてくださった。
「私のおまんこなめるつもりできいたのかなー、って」
恥ずかしいというより、どうしていいかわからなかった。
「……恐縮です」
「苦しゅうないよー」
陛下の笑顔につられて、私も笑う。
Continue
秘伝書はどうでもよかったが、まさか続報があるとは思わなかった。
シンガポール人が探した「秘伝書」あった
人間には人を愉快にする性質がある。それと同じくらい、不愉快にする性質もある。
生身の人間なら話はこれで終わりだが、小説の登場人物となると、話はもうちょっと続く。
登場人物の不愉快な性質を描くのは難しい。あまりにも難しいので、私はあきらめて、自分ひとりで「こいつはまったく不愉快な奴だ」と思うことにしている。
作品についてはできるだけ言いたくない。作品自身が語らなければ失敗だ。が、これはどうせ語らないことなので、ここで言ってしまおう。
設楽ひかるには、(やはり気が変わったので290字削除)。
愛すべき人々は、愛するのが難しい人々でもある。
*
「抱いて」
緋沙子の、期待のこもった視線を感じたときから、わかっていた。私はあの期待に応えずにはいられない。こうして考えている私の頭も、あの期待にひきずられている。
いまここで緋沙子が私を抱こうとすれば、美園と緋沙子はお互いに、相手を辞めさせる切り札を持つ。そうなれば、どちらも相手を辞めさせることができない。
緋沙子は瞬く間に形相を変えた。医者のような顔が消え失せて、欲情が一面に噴き出す。
「――私の、耳が、おかしくなったみたいです。どうか――」
言葉を繰り返すかわりに私は、身体を伸ばし、唇を差し出した。
緋沙子の手が、肩をつかむ。かすかに震えていた。
くちづける。最初は短く。
「ちょっと、ひかるさん、そりゃないでしょう?」
呆れたように美園が言った。
振り返って緋沙子が言い返す、
「私たちにまざるか、でなければ、お引き取りください。見世物ではありません」
今度は美園が目を丸くする番だった。驚いた顔のまま、回れ右して、居間から出ていった。
美園が出てゆくのを見届けてから、こちらに向き直った緋沙子は、とまどったように、
「もう大丈夫ですけど――続けても、いいんですか?」
「さっきのは、本気じゃなかったの? それはちょっと傷ついたな」
まるで陛下のおっしゃるような軽口が、すらすらと出てくることに、自分でも驚く。
「本気でした。でも、設楽さまの……」
「私が本気じゃないかも、って思った? それも傷つくな」
もう緋沙子はとまどわなかった。くちづけをやりなおす。
唇を離したとき、緋沙子が服を脱ぐかと思って、緊張を少し緩める。けれど違った。喉に、甘噛み。続いて、うなじへ。服を脱がずにするよう、陛下にしつけられている、という話を思い出す。
噛むときに邪魔になったのか、緋沙子が、
「首輪、お好きですか?」
「ひさちゃんは?」
「……わかりません」
その顔は、好きだと言っていた。
「鎖だけ外して」
鎖が外れて、肘をのばすと、腕が長くなったような気がした。緋沙子はその腕をとり、二の腕の内側を、甘噛みする。
「――あの、黙っておられると、不安で……」
陛下はこういうとき、絶えずお声をかけておられるのだろう。けれど私はかける言葉を思いつかず、とっさに、
「ええとね、昔むかしあるところで、」
陛下のお相手をするときに、よく使う手だった。でたらめな昔話をして、移動中などの退屈をお慰めする。いつもの行動パターンが、とっさに出てしまった。
緋沙子は大笑いした。おかしくてたまらず、どうしても止められない、そういう笑いだった。
笑いの発作がおさまると、緋沙子は、笑いすぎてこぼれた涙を拭きながら、
「やっぱり、本気じゃないんでしょう、設楽さま」
「ひかる、って呼んで」
小さく、フン、と鼻を鳴らしたのが聞こえて、
「嫌です」
「自信がないから、もうしたくない?」
「はい。こう見えても繊細なんです」
いったい緋沙子をどこからどう見れば、繊細でないように見えるのだろう。
話しながら緋沙子は、左右の足枷をつなぐ棒を外した。おかげで脚を閉じられるようになる。
「――でも、」
緋沙子の面に、欲情が戻ってくる。私の胸のあたりを見つめながら、
「……設楽さまにご満足いただこうとは思いませんが、私のわがままに、もうしばらく、おつきあい――」
「はやく」
吸い込まれるように緋沙子は私の胸に顔を埋めた。唇で胸の先端を挟み、前歯でこする。
刺激が背中に響く。くすぐったいような感覚で、好きになれそうにない。陛下はこういうのがお好きなのだろうか。
緋沙子のつむじを見て、思い出す。緋沙子に授乳する陛下の図、それに――
「吸って、――」
陛下のあこがれが理解できたような気がした。
「――赤ちゃんみたいに」
緋沙子は顔を離して、ためらった。表情は見えない。
「嫌?」
意を決したように、しゃぶりつく。喉を鳴らす、こくこく、という音を立てて。空想のお乳が、たしかに緋沙子の身体に流れ込んでいるのだと、わかる。
Continue
誰でも、萩尾望都『11人いる!』を読めば、わかるはずだ。ひとつには、この世には不正がまかりとおっている、ということ。そして、その不正と戦わなければならない、ということが。
不正――自己都合で性別が決定されるなどというふざけた設定が、広く世に受け入れられている、という事実。
『エーベルージュ』で終わりかと思われたこの設定を持ち出してきたのだから、『シムーン』は疑ってかかるべきである。
男装物(ホスト部)と女装物(プリンセス・プリンセス)の対決は、男装物の圧勝に終わった。当然の結果だ。
男装物の圧勝ではあるが、女装物がまるで論外かというと、そうでもない。原作者の歪んだ女好きを妄想して、これと戦うのだ。「俺のほうが歪んでる」「いいや俺だね」という戦いである。
冒頭を見ただけで、好きか嫌いかが、はっきりとわかること――よい作品の条件だ。
この基準でいくと、少々雲行きが怪しい。百合でなければもう見ないかもしれないレベルだ。
森薫の『エマ』が好きだ。19世紀末イギリスが舞台の、本格メイドまんがである。7andy
『エマ』の主人公(メイド)の雇い主は、主人公の恋の相手(富豪のぼんぼん)と、直接にはつながっていない。主従関係ぬきで、階級の違いだけが、恋の障害になっている。
ちょっと考えると、主従関係があるほうが手が作りやすいように思える。近親相姦と同じで、権力が絡むほうが面白い。セクハラとの当たりが厳しいが、これくらいなら逃げる手はある。
が、もうちょっと考えると、主従関係があるとシリアスな話はできないような気がしてくる。あるじのほうはよくても、メイドのほうが『家政婦は見た!』をやってしまうのが避けられない。
さらにもうちょっと考えると、なにかいい手があるのだろうが、そこまではまだたどりついていない。
*
この官舎に引っ越してくるまで、私はずっと街中で暮らしてきた。官舎にきて、その静かさに驚いた。聞こえるのは、鳥や虫の声と、風の音、それだけだ。足音も、車の音も、近所の人の声もない。慣れるまでは不気味だった。
その静かさのおかげで、居間にいても、玄関の物音や声が聞こえる。
玄関の扉が開き、
「はい、ご苦労さま」
という美園の声に続いて――二人分の足音が、こちらに近づいてきた。
私の体格はまるで警護に向かないが、性格はそこまで不向きでもない。この非常事態にあっても、むしろ非常事態だからこそ、私は頭を働かせた。
美園の声の調子からして、相手はメイドの誰かだ。不意の訪問ではなく、あらかじめ時間を指定して来させたらしい。なら、緋沙子だ。どういうつもりかはわからないが、それ以外の人間を巻き込むとは思えない。
緋沙子のいまの状態は? 私がこんな目にあっていると、知らされたうえで来ているのか? これから知らされるのか? それによって、話ががらりと変わる。いまの段階では、どちらともいえない。
私はどうすべきか。じたばたせずにいよう。助けを求めるような顔はしない。恥ずかしそうにもしない。事情をきかれたら、時間をかけて、そもそもの最初から説明する。私の異常な癖のことも、あの写真のことも、話す。
「ご用をまだうかがっていません」
廊下から聞こえてくるその声はやはり緋沙子だった。
「平石さんに見せたいものがあります」
私は、二人がやってくるほうを見つめていた。
微笑む美園に続いて、仏頂面の緋沙子が姿を現す。
目を丸くした緋沙子は、いつになく可愛らしい。私はあまり動揺もせず、緋沙子を見返した。
「どういうことですか?」
「ひかるさんに尋ねたほうが、確かなことが聞けるんじゃない?」
緋沙子は、私に視線を戻した。
その視線に――私は耐えられなかった。顔をそらし、身体を縮める。恥ずかしさのあまりに。
期待のこもった視線だった。私にさわれるかもしれない、という期待。美園がしたことをすべてあわせたよりも、その視線のほうが、羞恥心にこたえた。
緋沙子は素早く動いた。
そばに寄ると、まず、毛布をかけてくれた。首輪も見えないように、耳のあたりまで覆う。
次に、口枷を外す。素早く、それでいて、落ち着いた手つきだった。ハーネスを一瞬で外したあとは、私がボールを口から押し出すのを待つ。あわてて引っ張られたりしたら、歯や唇によくない。
向き合うと、緋沙子はもう、さっきの視線をしていなかった。落ち着いて実務的な、医者のような雰囲気だった。
口が自由になっても、すぐには言葉が出てこなかった。その沈黙をどう取ったのか、緋沙子は、
「……私は、ここにいたほうがいいですか? もしお邪魔でしたら、帰ります」
「いて。帰らないで」
「服はどうされますか? その前に、手足のこれを外しましょうか」
そこへ美園が、
「平石さん、事情を聞くんじゃなかったの?」
「落ち着いて話ができる状況とは思えません」
「ひかるさま、いかがです?」
それで美園の狙いが読めた。
女中頭が護衛官とこんな関係になったことが、もし財団に知れたら、美園はお側仕えを外される。緋沙子は美園と対立しているので、このことを通報しないはずがない。もし美園が公邸を追われたら、困るのは私だ。あの写真がいつ爆発するかわからない。だから私は、緋沙子を説得するなり、あるいは嘘をつくなりして、緋沙子を黙らせる必要がある。
黙らせる方法を考えてみて、わかった。嘘をつくほうが、はるかに簡単だ。『私は好きで美園とこうしている』と言えば、緋沙子は黙っているだろう。美園を公邸から追い出しても、私の恨みを買うのでは割にあわない。
もし説得しようとしたら、伝えるべきことがたくさんあって、しかも話しづらいことばかりだ。あの異常な癖のことはもちろん、美園の悪者ぶりと私の弱腰のことも、どう話したものか悩ましい。
そして、もし事の全部を話しても、緋沙子が黙っているかどうかは怪しい。
あの写真のことは、財団がそれなりに対応すれば、なんとかなる。たとえリスクがあるとしても、職権を濫用して恐喝をはたらく女中頭を取り除く、というメリットで正当化できる――と緋沙子は考えるだろう。なぜ私がそうしないのかといえば、あの異常な癖のことを話すのが恥ずかしいのと、美園のことがそれなりに好きだからだ。どちらの理由も、緋沙子にはない。
嘘をつくほうに、心が傾きかける。
喉から出かかった瞬間、飲み込む。もし口に出してしまえば、それはもう嘘ではなく、本当にそうなってしまうような気がして。
美園は私をさらっていくと宣言して、そのとおりに振舞っていたのに、遠ざけるどころか、家にあげてしまった。どうしてだか、自分でもうまく説明できない。ここでもし嘘をついたら、説明がついてしまう。私は美園を求めていた、と。そのうえ緋沙子や陛下が、この嘘を事実と認めてしまったら、もう逆らえない。この嘘が本当なのだと、自分でも信じてしまうだろう。
唇を奪われたり、拘束具をはめられたりするくらいは、なんでもない。この嘘を信じることに比べたら。
美園のことが嫌いだからではなく。美園のことを、美園という人として、ほかのどんな好きとも違う好きで、好きだから。
だとしたら、やはり、説得に頼るわけにはいかない。美園が公邸を追われてしまう。
嘘をつかずに、緋沙子を黙らせる。そんな方法が――ある。
私は緋沙子に告げた。
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私のポリシーには反するが、目からビームが出たので緊急事態につき全文を引用する。
青森県西目屋村の白神山地近くで4日夜、シンガポールから来日した中国系武道家一族ら13人のうち男性3人が雪道に迷い、5日未明に県警弘前署に保護された。一行はシンガポールで道場を経営していた武道家の遺族らで「青森の山中で修行する空手の伝承者に会えとの遺言を受け、伝承者を探しているうちに道に迷った」と説明しているという。
同署などによると、13人は5年前に病死した武道家の妻(50)と息子2人、近所の人10人。3月22日に来日し、4日朝から3人ずつ3班に分かれて伝承者を探していた。残る4人は寒さで体調を崩し、ホテルに残っていた。
武道家の長男を含む第1班は登山道に向かって歩き続けたが、午後7時ごろになって仲間の携帯電話に「雪で進めない。道に迷った」と連絡。仲間が地元観光協会の通訳とともに弘前署に届け出て、約6時間後に救出された。3人は畑にあった廃車に入って寒さをしのぎ、けがはなかった。
事情を聴いたところ、亡くなった武道家はシンガポールで空手などを教えていた。しかし、2人の息子は武道に興味がなく、道場にあった「空手の秘伝書」も弟子の一人に盗まれてしまった。後継ぎ問題に苦慮した武道家は死の間際、「青森県の相馬村に極真空手の伝承者がいる。彼に会い、秘伝書を譲り受けてほしい」と遺言したという。
相馬村(合併で現在は弘前市)は一行が道に迷った西目屋村から東に約5キロの場所にある。
極真空手県本部の池田治樹支部長は「旧相馬村に道場はない。空手家がいると聞いたこともない」と困惑しているが、13人のうち11人は当分の間青森に残り、武道家探しを続けたいという。地元観光協会も「全力で手助けしたい」と支援を申し出ている。【喜浦遊】
(毎日新聞) - 4月5日23時39分更新
一瞬、新団体の旗揚げかと思ったが、どうやら本物らしい。病死した武道家のことも気になるが、「近所の人10人」も大注目だ。が、おそらく永遠の謎で終わるのだろう。
読者諸氏は、ルネサンスの人文主義者がラテン語で書いたものを、読んだことがおありだろうか(もちろん邦訳でいい)。「はい」という答はかなり少ないはずだ。ボッカチオ『デカメロン』もマキャベリ『君主論』も俗語で書かれた。一般人が読む可能性が高いものは、トマス・モア『ユートピア』と本書くらいで、それも前者二書の読まれ方には遠く及ばない。
思想的な距離が遠い、という問題はある。新プラトニズムや占星術について、ルネサンス当時の思想的な見取り図を持っていないと、なにを言っているのかわからないような文献が多い。また、読者の想定範囲が狭い。きわめて均質な教養を備えた人々を読者として想定しているので、その想定範囲を少しでも外れると、ほのめかしや引用が理解できなくなる。
だが最大の問題は、彼らのラテン語の文体にあると思う。
見慣れない単語をちりばめた大仰な文章を書くことに、彼らは血道をあげた。文体は内容を規定する。なにかしら本質的でない、自分自身の実感から離れた、空虚なことを書いていることが多い。実感がこもっている場合にも、正面切って問題に向き合っているよりは、行間からにじみ出ていることが多い。
本書もその例に漏れない。著者自身は面白おかしく書いたつもりなのだろうが、無念や後悔や世を恨む気持ちが、行間からにじみ出ている(こういう感情はどういうものか翻訳でも失われない。元アメリカ大統領リチャード・ニクソンの著書にも、同じような思いがうかがえる)。だから読まれるのだろう。
行間や文体はともかく、内容は他愛もない。私が愛してやまないような人間の馬鹿馬鹿しさを賞賛している。痴愚は、目的でも手段でもなく、人生そのものなのだ。7andy
図子慧は私のB面だった。A面は少コミだ。
8年ぶりの新刊に、淡い期待を抱いて読み、淡い満足を得た。
まともに評価すれば、あまり人に薦められたものではない。話は捌けないし、問題の焦点は頭に入ってこないし、主人公は面白くない。
だが、どうにも、雰囲気がある。役者にたとえれば、セリフはよく聞き取れないし演技もよくわからないのに、出ただけで舞台に緊張感が漂う、そんな感じだ。もし本書を読むなら、あまり期待せずに読むことをお勧めする。7andy
マイケル・ジャクソンを見ていると、考えさせられることが多い。
「エープリルフール(4月ばか)」にちなんだ恒例の世論調査で、米ポップス界のスーパースター、マイケル・ジャクソンさんが4年連続で「最も愚かな米国人」に選ばれた
どうやらアメリカ人も同様らしい。
*
私は陛下のことを思っていた。
おととい、別れ際に、陛下は私の背中をさすってくださった。そのときはただ嬉しいくらいで、特別なこととは思わなかった。それは毎日のようにあることで、明日も、来年も、もし命があるなら十年後にも、それはあるはずだ。
でもそれはやはり特別なことだ。たとえ100万回繰り返すことでも、特別なことだ。その特別さを、普段は忘れているだけで。
その特別さを、いま突然、私は思い出していた。
陛下が、私の背中をさすってくださった。奇跡のようなことだと思う。悔いばかり多く罪深い私の人生を、それだけでまるごとプラスに変えてしまう、魔法の杖の一振りだと思う。
私を喜ばせようとして、私の奥深くに触れてくださる陛下の御手は、どんな奇跡だろう。
背中をさすってくださる御手と、それほど違わないかもしれない。それなら十分すぎるほどだ。たとえ100万回繰り返すことでも、私は欲しい。欲しくて、たまらない。
指先が、美園の唇に触れる寸前、私は手をひっこめた。
口枷があってよかった。言い訳をしなくていい。美園は大変だろうな、とも思う。私が黙っている分、自分自身のことをしゃべらなくてはならない。
美園の言うことは、おそらく当たっている。陛下は私を取り戻そうとなさるだろう。背中をさするのとは違うやりかたで、私に触れてくださるだろう。
けれど、その御手にこもった奇跡は、陛下おひとりの力では実らない。もし私に欠けるところがあれば、それは奇跡にならない。
もし、美園に許してしまったら、私は欠けてしまう。
理由はわからない。貞操とか純情とか、そんなことではない。私は、美園が無理やりにしてくれるのを、期待していた。それなら私は欠けないままでいられる――こんな期待を抱いている私が、純情などと言えたものではない。
私が手をひっこめると、美園はもう、その先にゆこうとはしなかった。
手を離して、居住まいを正した。そのときの表情を、私は見なかった。目をそらしていた。
さっきまでのように、私の頭をなでる。目をあわせる。穏やかで優しい。
口枷があってよかった。言い訳をしなくていい。言い訳では、美園を慰めることはできない。それはわかっていても、もし口が自由だったら、私は言い訳をせずにはいられなかっただろう。
しばらくして、なんの前触れもなく、玄関の呼び鈴が鳴った。前触れがない、ということはつまり、訪問者は検問線の内側からきた。
「少々お待ちください」
私は美園にまかせた。ほかにどうしようもなかったのではあるけれど。
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突然だが私はいま東京拘置所にいる。ホリエモンの真似をして、「インターネットは使えないんですか?」と訊いてみたら、使わせてくれた。
マシンは、ネグロポンテの100ドルPCのプロトタイプである。この黄色い奴だ。貸与の際にサインさせられた書類から推理するに、どうやら非公開のフィールドテストを世界中でやっているらしい。そのテスト地に東京拘置所も含まれていて、私がその被験者に(そうとは知らず)立候補して選ばれた、というわけだ。おそらくホリエモンも被験者になっているので、彼のブログも更新されるだろう。思うに、その宣伝効果を狙って、東京拘置所がテスト地に選ばれたにちがいない。
書きたいことはたくさんあるが、あいにくもうすぐ取調べが始まる。またあとで。
(この日記は4月1日に書かれました)